弁論主義 テーゼ

弁論主義の原則を本当に理解しているか?答案の書き方【民事訴訟法その8】

第1テーゼ「裁判所は,当事者のいずれもが主張しない事実を,裁判の基礎にしてはならない。」
第2テーゼ「裁判所は,当事者間で争いのない事実に反する事実を裁判で採用してはならない。」
第3テーゼ「当事者間に争いのある事実ついて証拠調べをするときは,当事者の申し出た証拠によらなければならない」

弁論主義は訴訟資料の収集につき裁判所と当事者との間の作業分担の原理を規律するもの 民事訴訟法講義案P119

主張責任

第一原則 主要事実は当事者が口頭弁論において陳述しない限り判決の基礎として採用することができない

当事者は自己に有利な事実は主張しておかないと仮に証拠上その存在が認められたとしてもその事実はないものとして不利益に扱われる。 ← 主張責任

相手方の援用しない自己に不利益な事実の陳述 (H21論文):対立当事者のいずれから提出されたかに関わらず、弁論で主張されていれば、判決の基礎として取り上げなければならない。←主張共通の原則⇔弁論主義は裁判所と当事者の役割分担であり、当事者相互間の役割分担の問題ではない

弁論主義では主張共通の原則があるのに通常共同訴訟では主張共通の原則がなくなるという民事訴訟法

ある程度勉強していたら何を言わんとしているのかは分かると思いますが、私のような短答落ちには分からんのですよ(笑)
必要的共同訴訟では主張共通の原則があり、通常共同訴訟では主張共通の原則がない。
しかし、弁論主義によれば主張共通の原則があるという。まさにこれがリーガルマジック、いや、日本語の難しさと言えましょう。
共同訴訟に言う主張共通というのは要するに共同原告、共同被告内で共通なのかそれとも共通しないのかの話。
弁論主義に言う主張共通というのは弁論に現れていれば、原告だろうが被告だろうが裁判の基礎にできるという話で、有利にも不利にもなってしまうという。
本来であれば別の単語を使う必要があると思われるわけですが、こういうのを見るといかに法律という学問が成熟していないのかが分かりますね。と、短答落ちが申しております(笑)

間接事実と弁論主義

間接事実には弁論主義は適用されない:主要事実が弁論に現れていれば間接事実はは陳述がなくても斟酌することができる。間接事実について当事者の主張がなければ主要事実についての認定資料とすることができないとなると、主要事実についての自由心証主義を実質的に制約してしまうからである。民事訴訟法概説P70

自白の拘束力

第二原則 
当事者間で争いのない主要事実(自白、擬制自白)は、そのまま判決の基礎としなければならない
民事訴訟における裁判所の役割は真実探求ではなく、当事者間の紛争解決にあるから、裁判所の判断も当事者間に争いのある限度で示せば足りる。

職権証拠調べの原則禁止

第三原則 
争いのある主要事実についての証拠資料も原則として当事者の申し出た証拠方法から獲得する事が必要。

※訴訟資料と証拠資料
主張のない事実を証拠から認定できないから訴訟資料(事実)と証拠資料を区別する
証拠資料は証拠方法について証拠調べをした結果得られた内容をいう

弁論主義 判決の基礎となる事実主張、事実の存否の判断について適用される
証明力についての判断 裁判所の自由であるから証拠の評価についての当事者の陳述、意見には裁判所は拘束されない

弁論主義と職権探知

弁論主義は当事者の私益に関することに起因しているから交易や第三者に及ぶ場合は弁論主義が制限される場合もあり、職権探知がとられることもある。

職権探知とは判決の基礎となる資料の収集について裁判所の主導権を認めるもの

弁論主義と釈明権

弁論主義の形式的適用から生じる弊害を除去して真に公正妥当裁判を実現するために裁判所の職責を背景にして当然に認められる権能
従って、これは弁論主義と矛盾するものではなくむしろ補完するもの 民事訴訟法概説P72
一定の場合には裁判所は当事者に釈明を求める義務がある判例

主張責任と立証責任

主張責任を果たしたとしても(要するに主要事実はすべて弁論で陳述した)、証拠調べをした結果その事実の存否が不明の場合がある。
この場合、裁判所は当該法規の適用をせず、法律効果の発生を承認しない裁判をすることになる。この法律効果の承認を得られない当事者の危険、あるは不利益を立証責任(挙証責任、証明責任)という。
立証責任はどちらが負うのか
立証責任は言い換えれば証拠を提出せざるを得ない、証拠を提出しなければその法律効果を承認してもらえない立場である。
従って、各当事者は自己に有利な法規の要件に該当する事実について立証責任を負担するのが原則となる。
権利根拠規定→原告
権利障害規定→被告

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