仮定に仮定を積み重ねてない (令和5年司法試験民事系第3問)
『問題文
Yは、第1回口頭弁論期日において、Xの主張を認めた上で、主位的に、甲債権に対しては既に弁済をした旨を主張し、予備的に、Xに対する200万円の売買代金債権(以下「乙債権」という。)により相殺する旨の訴訟上の相殺の抗弁を提出したXは丙債権を自働債権、乙債権を受働債権として相殺するとの意思表示を訴訟外でした旨主張を追加した
受訴裁判所は、Xによる丙債権を自働債権とする相殺の意思表示は、訴訟外で既に確定的になされているため、訴訟上許容されると判断した』
今年の民訴設問2。問題文を読んでいて、「あれっ、予備的相殺の再抗弁って仮定に仮定を積み重ねるからダメなやつなんじゃないの?」って思った人もいたかもしれません。しかし、それは「訴訟上の」相殺の抗弁に「訴訟上の」相殺の再抗弁を被せる場合です
本問では、Yのした相殺の抗弁は訴訟上の相殺ですが、Xのした相殺の再抗弁は、訴訟外の相殺です。問題文をよく読むと、受訴裁判所の対応も、上記判例を受けたものであることがわかるでしょう
何が問題なのか?よくわかっていない
この問題の論点は、「訴訟上の相殺の抗弁に対しての相殺の再抗弁は許されないという判例があるのに、この問題では許されているがどういう事?」らしい
勿論この論点は知らない(笑)
相殺の既判力とか遮断効についてはなんとなく知っている程度だから当たり前か。
仮にこの論点知っていたとしても「訴訟上の相殺に対しての相殺の再抗弁は許されない」と丸暗記してしまっているに違いない。
そうすると、この問題わけわかめ、となる。そう、これが司法試験にいつまでたっても受からない理由である。
判例の論理を結論だけおさえてしまう
この問題というか論点、そもそも論として相殺の主張っていつの時点で確定的に効果が生じるのか?実は争いがあるというか、それこそ学説や判例でも不確定的なようである。
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リーディングケースとされる 平成10年4月30日によれば「被告による訴訟上の相殺の抗弁に対し原告が訴訟上の相殺を再抗弁として主張することは、不適法として許されない」としており、この部分だけからは確かに訴訟上、相殺の再抗弁をすることは許されない。
しかし、同判例はこうも言う
「訴訟外において相殺の意思表示がされた場合には、相殺の要件を満たしている限り、これにより確定的に相殺の効果が発生するから、これを再抗弁として主張することは妨げない」
ん?訴訟外で相殺を主張したら確定的に効果が生じるのか
ここで言う訴訟上での主張という意味と、相殺の効果がいつ生じるのかという意味は別個に考察されるべきものだろう。しかし、判例はそこらへんはすっ飛ばして言わば結論だけを言っているようだ。
判例の論理をミスリードしている
そして、なぜ相殺の再抗弁が許されないのかという理由については仮定に対しての仮定を主張することを許すと要するにめんどくさくなるからと言っている。
つまり、この再抗弁禁止の理由は論理的なものではなくあくまで事実上、事務的な、あるいは裁判所の都合と言ってもいいものである。
従って、この再抗弁禁止という論点を勉強する受験者はよくわからないままそれを覚えてしまうので当てはめにおいて間違ってしまうのである。
訴訟外で主張された相殺に確定的に効果が生じるから、これを訴訟で主張されるのが許されるのではなく、訴訟外で主張したことを証明するために訴訟上で主張することができるのだろう。仮に訴訟において、訴訟外でも主張していなかったと判断されれば相殺の効果は生じない。そうならなければおかしい。
裁判所は訴訟外で訴訟を主張していたら確定的に相殺の効果が生じるという事と矛盾するが、ここに停止条件説などの学説が登場する。そしていつもながら裁判所は訴訟で認められることを条件として訴訟外の主張が確定する、などとご親切に言ってくれはしない。
このあたりに判例の結論だけを覚えてしまう危うさがある。
平成10年判例が言っているのは、訴訟で相殺の抗弁が主張された場合、それに対して再抗弁として新たに相殺を主張することはできないということであろう。
他方、訴訟外で相殺を主張していたら確定的に効果が生じているとするならば、当初の抗弁としての相殺が訴訟外で相殺をしていたことを主張するものであるなら、権利は確定していることになるので仮定とは言えない。従って、新たに相殺の再抗弁をすることは仮定に仮定を積み重ねることにはならないから、相殺の抗弁に対する相殺の再抗弁も許されることになってしまうのではないかという疑問は残るが、「仮定に仮定」は相殺の再抗弁禁止の理由というよりは裁判所の論評、感想ですよね?的なものだろう。
完璧を目指して収拾がつかない
なぜ、再抗弁禁止なのか?理由を述べよと問われて仮定に仮定を積み重ねるからという返答では恐らく不十分だと思われる。裁判所がそう言っていたとしても。
このあたりが法律、いや判例の勉強の難しさだと思う。仮にある基本書でこのような事が書かれていたとしても、それが通説となっていなければ論文試験で書けるだろうか?書いたとして減点されることはないのか?それは司法試験委員会しか知らない。
しかし、論文試験では平気でこのような論点が出され、基本書にも書かれていないような論理解釈をあたかも当然のように採点実感で書かれている場合があり、これに言及している受験生はほとんどいなかった、などと書かれる始末。
逆に言えば、そこまで深い事が書ける受験生は一握りであり、それ相応の無難な、否、大体の受験生が書きそうなことを書いた方がよいとも言える。
ホームラン答案はいらない。採点の実感を読むと、まるでこのホームラン答案を期待しているようなふしがあるが、受験生にとっては合格すればそれでよい。
トップ合格を目指している人もいるかもしれないが、そんな人はこんなブログは及びでないだろう(笑)
判例はこう言っているが、今回は事案が違うなど断りを入れた上で、自分なりの論理解釈をすればよく、判例の言っていることは間違いだとか、判例はおかしいだとか一刀両断することにあまり意味はない。
試験では知っているかどうかも問われており、知っているにしてもきちんと理解しているかを問われている。例えばこの判例で言えば、相殺の再抗弁が論点なのだから相殺の主張はいつ効果が確定するかなどに言及する必要はないだろう。
そして、判例の事案と問題の事案を指摘して、その上で自分の考えを主張すれば及第点に違いない。
そもそも、学説などでも見解が統一されていないような論点に一受験生が完璧な答えを出さなければいけないはずもなく、また、法律の見解は人それぞれ有りうるわけで完璧な答えが一個しかない、などということは論文試験においては考えにくい。
何が問題で裁判所はどう言っているのか、学説の考えはどうなのか?ここは言わば事実の部分で、そして、それが問題の事案に当てはめてどうなるのか。このあたりに間違いがなければ、わざわざ判例の論理がどうたらこうたらなど書く必要はない。むしろ、こういった部分でしか明確な点数のつけようがないはずである。
それこそ仮定に仮定を積み重ねるから不適法だ、などと、書けば、なぜ仮定に仮定を積み重ねることではダメなのか説明しろ、などと採点実感で言われるだろう。このような考え方を述べているに過ぎない部分は点数での評価が難しいはずである。
このような物言いが許されるのは高名な学者か、裁判所の判決文であって、受験生がそのまま引用してしまうと、「こいつ本当に分かってるのか?」と思われてしまいかねないので危険である。
基本書や参考書ではよくわからない基礎的な事を知らない
本当に訴訟外での相殺の主張で効果が確定的に発生するのか?効果が発生するから訴訟上で主張が許されるのか?
訴訟上の主張と言っても、訴訟において新たに権利行使する場合と訴訟外で権利行使したものを主張する場合ではその意味合いが違うのではないか?
そこらへんまで理解しておかなければ論文試験で合格点は貰えそうにない。
仮に短答の問題で
「被告による訴訟上の相殺の抗弁に対し原告が訴訟上の相殺を再抗弁として主張することは、不適法として許されない」
〇か×かと問われた場合果たしてどっちだろうか?
判例に従ってと言われれば、そのまま引用しているので〇になるが。。。
今回の論文試験においては許されるとなっている。果たしてどっちだ。。。。
いずれにしろ、論点の結論だけ丸暗記するだけだと短答は突破できても論文試験には太刀打ちできない。私のように丸暗記さえできない者は短答さえ突破できないが(笑)
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