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出題の趣旨
デモ行進の自由が憲法上保障されていることについては,異論がない
その憲法上の位置付けに関して,憲法第21条第1項の解釈の仕方と関わって,学説は大きく2つの見解に分かれる
大学の教室使用不許可処分
公衆に「開かれた」場所ではない
学生も当然に教室を使用する権利があるわけではない
学問や表現・集会の意義を踏まえつつ,Cゼミの使用申請に対する不許可処分の平等原則違反を問うことはできる
Cゼミによる講演会と経済学部のゼミによる講演会の内容・性質の違いが問題となる
設問1
違憲という結論を導き出す論拠を十分に書くこと
の3回目の道路使用申請が不許可とされた問題である
論ずべき中心は当該不許可処分の違憲性
条例自体の違憲性を論ずる場合には,付随的規制という観点や事前規制という観点から検討を加え,きちんと論じていること
道路使用不許可処分の違憲性
道路の場所としての2つの特性
伝統的に表現活動の場として使用されてきたこと
多くの人がその他の目的で利用する場所であること
教室使用不許可処分の違憲性
教室という場の特性を踏まえた平等原則違反が問題となる
Cゼミの講演会への評価においては,それが学問研究活動の一環であるのか,それとも実社会の政治的社会的活動であるのかについて検討する
Aの発言が県政批判といえるか,仮に県政批判といえるとしても,表現の自由として保障されるAの発言を大学側がマイナスに評価することは許されるのか等についても検討する必要
設問2
最初に,想定される県側の反論を書くこと
合憲となる論拠のポイントだけを簡潔に書けばよい
採点実感
場所も,これに関係する規定(条例と規則)も異なっている。この対比的な構造を明確に意識している答案は少なく
パブリック・フォーラム(PF)であるか否かを意識した答案はほとんど見られず,道路が伝統的なPFであることを指摘する答案は少なかった
憲法上の権利として保障されることについて,条文の文言との関係に留意しないまま論じている答案が一定数見られた
「自己統治,自己実現を支えるから重要な人権である」という紋切り型のものが多かったことは,学習内容の問題性を示してもいる
条例の違憲性
条例の事前許可制と付随的規制が問題となる
内容中立規制
事前許可制に関しては,届出制に近い許可制であるか否かが問題となる
教室使用不許可処分
「部分社会の法理」は,本問
事案における反論として説得的であるとは思われない
以下が憲法違反であるとして,国家賠償訴訟を提起
第3回目のデモ行進 不許可
教室使用願 不許可
訴訟代理人としての憲法上の主張
それに対するB県側の反論についての見解
事案
Cゼミは「格差の是正」を訴える一連のデモ行進を行うために許可申請を行ったが、がB県集団運動に関する条例第3条第1項第4号に該当するとして,当該申請を不許可
第3条 B県公安委員会は,前条の規定による申請があつたときは,当該申請に係る集団運動が次の各号のいずれかに該当する場合のほかは,これを許可しなければならない。
3条
四 B県住民投票に関する条例第14条第1項第2号及び第3号に掲げる行為がなされることと
なることが明らかであるとき。
B県住民投票に関する条例
14条
二 平穏な生活環境を害する行為
三 商業活動に支障を来す行為
Cゼミは「格差問題と憲法」をテーマにした講演会の開催のため教室使用願を大学に提出したが、講演会は政治的色彩が
強いと判断し大学側は不許可
B県立大学教室使用規則
「政治的目的での使用は認めず,教育・研究目的での使用に限り,これを許可する」
※ゼミ活動目的での申請であり,かつ,当該ゼミの担当教授が承認していれば教室の使用を許可する,という運用を行っている
素朴な疑問点
法令違憲と適用違憲と処分違憲
本問の場合法令自体の違憲性を主張する人はほとんどいないだろう。適用違憲か処分違憲ということになるが、そもそもこれらはどういう違いがあるのか。
わかりやすい記事がありました。
法令違憲と適用違憲と処分違憲と
適用違憲 → 法令を違憲的に解釈して適用
処分違憲 → 法令自体を問題にしていない。当該処分が違法で、結果として憲法上の権利を侵害している。
例 愛媛玉串
エホバ剣道 ※違憲とは言っていない。 裁量権の濫用
処分違憲と適用違憲
法令の適用行為とはいえないものについて裁判所が違憲と判断する場合がある。このような場合は、適用違憲ではなく処分違憲というべきだという
なるほど。
つまり、違憲判断をするその対象が行為そのものの場合が処分違憲に該当するという理解でいいようだ。
そもそも、処分違憲という概念は昔はなかったようなので言葉としてはどうでもよく、実際の憲法問題をどのように処理するかが分かればよい。そしてそのやることは大して変わらない。
上記記事にもあるが、適用違憲と処分違憲の関係は根本的に違うもののように見えるが、適用と処分という実際の行為でみた場合はほぼほぼ同じと言ってもいいかもしれない。
処分違憲と適用違憲の明確な区別がないのだから当たり前かもしれない。
裁判所が判決でこれは適用違憲です、とか処分違憲です、とか言うわけでもない。条文が存在しているものでもない。
講学上は区別されるものかもしれないが、区別する実益というものはないのではなかろうか。
勿論、試験問題として適用違憲でしょうか、処分違憲でしょうか、などと出題されるかもしれないが。
旧司短答H8~H22新司短答H18~R3を処分違憲と適用違憲で検索したところ1肢ヒット
旧司H21 13
オ いわゆる猿払事件において,最高裁は,第一審判決及び原判決は「被告人の本件行為につき罰則を適用する限度においてという限定を付して右罰則を違憲と判断するのであるが,これは,法令が当然に適用を予定している場合の一部につきその適用を違憲と判断するものであって,ひっきょう法令の一部を違憲とするにひとし」いとして,適用違憲の手法に対して消極的な姿勢を示した。
解答
一般的に適用違憲か処分違憲かという区別がされているのに、問題としてほとんど出題されていない。
猿払事件において適用違憲の手法には消極的などと言われているものの、処分違憲自体は結構出されている。もっとも処分違憲である、などという表現は使われていないが。
適用違憲に対して消極的なら処分違憲もそうなりそうだがそうならない。それは適用違憲そのものを否定しているのではなくて、法令の一部を適用し、それを違憲と判断するのは法令の一部を違憲とするものだから、という理解もできる。
しかし、そうなると法令の一部ではなく全体を違憲的に適用した場合は法令全部を違憲と判断するようなものなので適用する場合に限って違憲という判断はできないことにもなる。
他方、違憲判断をしたとしても、実質的には当該事案に限って無効であり、結局適用違憲と何が実質的に違うのかという話もあるが。
いずれにしろ処分違憲であったとしてその違憲判断とはどういうふうにやるのか。法律を審査するわけでもなく、法律は合憲なのに処分だけが違憲などという論法を成り立たせる審査基準は何か特別なものがあるのか。
処分違憲の審査基準はどうなるのか
愛媛玉串料事件が政教分離原則や憲法二〇条三項、八九条に違反するという事は知っているが、処分違憲という事は知らないという。。。
とは言え、目的効果基準のような審査基準であれば、法令自体を審査しないので処分違憲の審査基準としては適当かもしれないが、違憲審査基準の多くは法令を審査する場合のものである。
この手の問題意識は初歩的で消化していて当たり前なのか検索しても少ない。基本書をあたるのは効率が悪い。
分かりやすい記事がありました。
【憲法】 処分に対する違憲審査基準について・その1
処分の理由の合憲性
この理由の合憲性を判断する際は、基本的には、第1の過程である法令の違憲審査基準と同様の処理をすれば良い。問題となっている権利・自由との関係で「やむにやまれぬもの」・「重要」・「正当」かを判断し (目的の判断)
当該処分と当該害悪発生防止との間に「必要不可欠な関係」・「実質的関連性」・「合理的関連性」があるか否かを判断する (関連性の判断)
そもそも論として、憲法判断をする場合の審査基準などというものが法律で定められているわけではない。
従って、ケースバイケースであり、試験としては判例などを参考にするしかないわけで、だからと言って必ずしも判例通りにやらなければならないものでもない。
処分違憲の場合猶更定式化されたものがないようである。
余計に適用違憲と処分違憲の区別がつかなくなってきた(笑)
適用違憲と処分違憲の個人的まとめ
まず、試験問題として、特に短答でこの区別についてそのものズバリの問題は出ないだろう。とは言え、憲法では偉い学者さんの言っている個人的見解が通説、常識として問題の答えになったりするから油断はできないので個人的な区別のやりかたを記録しておこう。
あるAという法律が●●●を禁止しているとする。
ある人が△△△を行ったので、法律に基づき停止命令や、罰金の納付を命じたとする。
このとき、●●●を違憲的に解釈したために△△△にAという法律を適用したという場合が適用違憲。
処分それ自体の目的、手段が違憲だと判断される場合が処分違憲。上記の例で言えば〇〇〇という行為にAという法律を適用するのは問題ないとしても処分の目的(嫌がらせ目的)や手段(より重い罰を与えるとか)が違法で憲法にも違反するという判断が処分違憲。
というところで妥協しよう。
そもそも許可制自体が違憲となるのか
参考答案などを読んでいて改めて思う。表現を行おうとするときに、許可制自体を設けるとそれだけで違憲となるのか?判例を知っていても分かっていない。いや、どうやら勘違いをしている。
【平成25年司法試験再現答案】公法系第1問 ※旧ブログ記事転載 司法試験
許可制は、一般的には事前かつ強度の制約として原則として憲法21条1項に違反するものであるが、本件デモ条例は不許可事由に該当しない限り許可しなければならないとしており(3条)、実質的には届出制と同視できるから、許可制を定めること自体は憲法21条1項に違反するものではない
【行政書士】日本国憲法の話 -今だから、もういちど憲法を読み直そう- 21条②
新潟県公安条例事件
【事案の概要】
本来自由である集会が、公安条例によってデモ行進を許可がなければすることができないという許可制にしたことが憲法21条に違反するのではないかが争われた事件。
この判例知っているはずなのに許可制自体が争われたという認識がない(笑)
そりゃ落ちるな。。。
とは言え、許可制を定めること自体が違憲というわけではなく、裁判所の言う「一般的な許可制」というのは要するに、許可するかしないかというのが当局の胸先三寸のような許可制のことを言っているのだろう。
許可制の違憲判断基準
「公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ、又は届出をなさしめてこのような場合にはこれを禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもつて直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限するものと解することはできない」
と言う。
全ての表現行動を一律に(一般的に)制限するものは許されないが、すべての表現行動が許されるものでもないこともまた当然だろう。
公共の秩序を保持又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため
〇特定の場所又は方法につき
合理的かつ明確な基準
〇これらの行動といえども特段の事由のない限り許可することを原則とする
「条例の趣旨全体を綜合して考察すれば
これらの行動そのものを一般的に許可制によつて抑制する趣旨ではなく、上述のように別の観点から特定の場所又は方法についてのみ制限する場合があることを定めたものに過ぎない」
「本件条例四条一項は
一般的抽象的に「公安を害する虞がないと認める場合は」と定めているから、逆に「公安を害するおそれがあると認める場合は」許可されないという反対の制約があることとなり、かかる条項を唯一の基準として許否を決定するものとすれば、公安委員会の裁量によつて、これらの行動が不当な制限を受けるおそれがないとはいえない。
従つてかかる一般的抽象的な基準を唯一の根拠とすれば、本件条例は憲法の趣旨に適合するものでないといわなければなら
ない。
しかしながらこれらの行動に対する規制は、右摘示部分みを唯一の基準とするのでなく、条例の各条項及び附属法規全体を有機的な一体として考察し、その解釈適用により行われるものであるこというまでもない」