学説問題の解き方私見
学説問題はその学説に対しての批判が可能かどうか、或いは批判に対する反論が可能かというパターンが多い。
学説に対して、こういう見解をとるとこういう批判ができる、という構造。
この場合その見解からの批判が的を射ていなければならないのでその見解からの帰結自体がどうなんだ?という点を検討しなければならないように思われるが、実際はそうでない場合もあるのが学説問題のやっかいさである。
つまり、ある学説に対する批判というものがもう一つの学説となっており、そのもう一つの学説のとる見解というものが批判になっている場合もあるためその学説=批判を知らないと正しいのか間違いなのか判断できない場合があるからである。
学説の枝葉末節まで網羅して勉強することは現実的ではないため、短答の学説問題の解き方としては、まず、
批判が可能である、という肢ならその批判が可能かどうかだけを判断する。
問題文に示された学説の内容などに対してではなく、肢に書かれている批判などの中身だけで整合性がとれているかを判断する。整合性があれば次に学説に対してどうなのかを吟味する。
〔第10問〕(配点:2)
過失に関する次の各【見解】についての後記アからオまでの各【記述】のうち、誤っているもの
の組合せは、後記1から5までのうちどれか。(解答欄は、[No.12])
【見 解】
A説:過失の本質は、結果の発生を予見することができたのに、精神を緊張させずにこれを予見しな
かったことにある。
B説:過失の本質は、社会生活上必要な注意を怠り、結果を回避するための適切な措置を採らなかっ
たことにあり、その前提として、構成要件的結果及び因果経過の基本部分に対する具体的な予見
可能性が必要になる。
C説:過失の本質は、B説と同様であるが、結果に対する具体的な予見可能性を必要とせず、一般人
に対して何らかの結果回避措置を命じるのが合理的であるといえる程度の危惧感があれば足り
る。
【記 述】
ア.A説からは、いわゆる信頼の原則を過失犯に適用する余地はない。
イ.A説は、故意犯と過失犯は客観面が共通であり、両者は主観面において区別されるとの見解
と親和的である。
ウ.B説に対しては、結果回避のための適切な措置と行政取締法規が定める義務とを区別するの
は困難であり、行政取締法規の義務違反が刑法上の過失になってしまうとの批判が可能である。
エ.B説に対しては、自動車運転はそれ自体危険な行為であり、いかなる運転行為からも死傷結
果が生じ得る以上、容易に予見可能性が認められ、過失犯の成立範囲が広くなりすぎるとの批
判が可能である。
オ.C説に対しては、構成要件該当事実に関する具体的な予見可能性がないにもかかわらず、漠
然とした危惧感だけで過失責任を追及することは責任主義に反するとの批判が可能である。
1.ア ウ 2.ア エ 3.イ ウ 4.イ オ 5.エ オ
アガルートさんの解答速報によれば正解は 2
私は1にした。問題集には最初1を選択してそれを消して結局1にしたような跡がある(笑)
さて、エが誤っていると言うことなので今一度検討しよう。
A説は旧過失論
B説は新過失論
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~mtadaki/seminar/resume/2008/11k.pdf
所謂学説問題。学説問題で注意を要するのは学説からの帰結が必ずしも論理的ではない場合がある点ですね。
従って、学説そのものを知らないと解けない(現場思考で常識的判断をしても通用しない)場合があるということです。
肢エの文章だけを単純に読むと、予見可能性が認められると、すなわち過失犯の成立範囲が広くなるのか?と言う点にまず疑問符がつきます。問題文に示されているB説を読むと、結果回避義務が必要なので予見可能性があってもすぐに過失犯が成立するわけではないことが分かります。
これは学説の内容を知らない場合に単純に文章を読んで判断した場合ですが、それで答えが一応でます。
学説の枝葉末節にこだわって必要以上に拘泥する必要もない、ということでしょうか。
一方で私は肢ウを×にしたわけですが、肢ウを一読しても正直何を言っているのかよくわかりません(笑)
多分だから肢ウを選択したのかもしれませんね。問題集には肢エを検討した後に何もチェックしておらず、肢ウには?をつけていたので、一通り解き終わって見直した時に、やっぱりウが間違いだと判断してしまったようです。
とは言え、新過失論では予見可能性がそもそもなければ結果回避義務もないことになりますよね?
そうすると予見可能性が容易に認められればその分過失の成立範囲は広がるという見方もできなくはないです。
つまり、これは解釈の仕方でどうとでも言える事だと思うのですが。
やはり、これは業界での学説がどういう帰結、当てはめになっているのか知っておく必要がありそうです。(要するにそれが業界では常識として扱われているかどうか)
まず、手持ちの基本書には過失論における行政法規については触れられていないのでネットで検索をしてみたがやはり適当な記事は見つからなかった。見つかりました。下記参照。
ウを最終的に×にしたのは「結果回避のための適切な措置と行政取締法規が定める義務とを区別するのは困難であり」、という部分に引っかかったからだと思う。しかし、確かに旧過失論は責任主義に立脚しているので注意義務違反があれば過失、という事になり、行政法規であってもそうなると言えばなるな。。。
結局、答えを知った上で検討するとどうしてもそれに合わせた解釈をしてしまうのでこういうのはやってもあまり意味がないのかもしれない。
大学院研究年報 第46号 2017年 2 月 判例における刑法上の注意義務と刑法外の義務との関係性について 谷井 悟司
判例・学説上,行政法上の義務といった刑法外の義務と刑法上の注意義務とは異なるものであり,刑法外の義務が刑法上の注意義務をただちに基礎づけるものではないとの理解が一般的になされている一方で8),注意義務を認定するにあたり刑法外の義務を参照する判例・裁判例は数多く存在している.
判例学説が新過失論に依拠しているとするならば、行政取締法規が定める義務違反と刑法上の過失が同じになる、という理解は生まれてきそうにない。もっとも試験問題としては新過失論に対する批判であるから、そういう理解をする人がいた場合は批判としては成り立ちうるという捉え方もできる(笑)
そもそも論として、このような学説からのある帰結を正誤問題として択一試験で出題するのが適切なのか疑問に思うのだが。 法務省試験委員会がどのような正解を出すのか興味深い。 思えば昔はなぜ試験問題を持ち帰ったりしてはいけなかったのかなんとなく理由が分かってきた(笑)
※法務省の正解も2でした。
ウはB説への批判としては正しいので、B説は「結果回避のための適切な措置と行政取締法規が定める義務とを区別」できる事が前提となっている。この事は知っていなければ分からない話だろう(少なくとも私は分からなかった)
H23〔第14問〕(配点:3)
両罰規定に関する次の【見解】A説ないしC説に従って,後記【罰則】の適用に関する後記1か
ら5までの【記述】を検討し,誤っているものを2個選びなさい。(解答欄は,[No.29],[No.30]
順不同)
【見 解】
A説:両罰規定は,法人が無過失であっても代表者や従業者の責任が法人に転嫁されることを政
策的に認めたものである。
B説:法人の代表者の違反行為は法人の違反行為であり,法人の従業者の違反行為については,
法人の代表者の当該従業者に対する選任監督上の過失が推定され,過失責任に基づき法人が
処罰される。
C説:法人の代表者の違反行為は法人の違反行為であり,法人の従業者の違反行為については,
法人の代表者の当該従業者に対する選任監督上の過失が擬制され,過失責任に基づき法人が
処罰される。
【罰 則】
出入国管理及び難民認定法第73条の2第1項
次の各号のいずれかに該当する者は,3年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処
し,又はこれを併科する。
一 事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせた者
二 (以下略)
同法第76条の2
法人の代表者又は法人若しくは人の代理人,使用人その他の従業者が,その法人又は人の業
務に関して第73条の2(中略)の罪(中略)を犯したときは,行為者を罰するほか,その法
人又は人に対しても,各本条の罰金刑を科する。
【記 述】
1.A説によれば,甲社代表取締役乙が,自社の事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせ
た場合,甲社に出入国管理及び難民認定法違反の罪(同法第73条の2第1項,第76条の2,
以下「不法就労助長罪」という。)が成立する。
2.A説によれば,甲社従業者丙が,自社の事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせた場
合,甲社に不法就労助長罪が成立する。
3.B説によれば,甲社代表取締役乙が,自社の事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせ
た場合,甲社の乙に対する選任監督上の過失がないことが立証されない限り,甲社に不法就労
助長罪が成立する。
4.B説によれば,甲社従業者丙が,自社の事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせた場
合,甲社代表取締役乙の丙に対する選任監督上の過失がないことが立証されない限り,甲社に
不法就労助長罪が成立する。
5.C説によれば,甲社従業者丙が,自社の事業活動に関し,外国人に不法就労活動をさせた場
合,甲社代表取締役乙の丙に対する選任監督上の過失がないことが立証されない限り,甲社に
不法就労助長罪が成立する。
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