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論理問題と常識問題
問:警報機の無い踏切では必ず左右の安全を確めて通行しなければならない。
これを見てほとんどの人が〇と答えるに違いない。いや、むしろ〇としなければおかしいとさえ言える。
日本語の意味として、或いは日本人同士の会話として考えると確かに、警報機の無い踏切で安全確認せずに通行なんて危なくてできやしない、だから確認するのが当たり前となるはずである。
しかし、運転免許試験を受けた事のある人なら、ちょ待てよ、とキムタクばりに気付く人もいるだろう。
答:× 警報機の有無に関わらず踏切では安全を確めて通行しなければらない。
さて、答え自体を字義どおりに読むと確かに間違ったことは言っていないし、そうか、確かにそう言われればそうだなと思うかもしれない。
改めて問いをみてみよう。
問:警報機の無い踏切では必ず左右の安全を確めて通行しなければならない。
これが間違いだとすると一体どこがどう間違っているのか?という話になる。
警報機がない踏切 → 安全確認をする
対偶をとると
安全確認しない → 警報機がある踏切
となるだろうか。そうすると、日本の交通ルールとして警報機がある踏切でも安全確認が必要だとするなら確かにこれはおかしな論理となる(笑)
とは言え、この交通ルールを知っていたとしても運転免許の学科試験対策をしていない日本人が初見でこの問題を見るとやはり〇と答える人も多いのではなかろうか。
問いとしての聞き方が、「警報機の無い踏切だけ」という表現であれば交通ルールを覚えていれば誤答はかなり減るだろう。
ウェイソンの4枚カード問題などでも取り上げられるが、論理問題として考えると解けるが、日常的な問題として考えると間違ってしまう(現実では警報機のない踏切で安全確認しているのだから間違いではない)。
もしもこれがAIだったらどうなるのだろうか?AIは学習していくためいずれにせよ現実社会に対応していくのだろうが、論理的に考えて現実社会で対応すると間違った行動をしてしまうということも考えられそうだ。
自動車を運転をする場合に限って、この問いを掘り下げて考えてみる。
自動運転車を作ろうとして、踏切での自動車の挙動を制御する場合、
警報機のない踏切 一旦停止
だけでは不足で、警報機のある踏切でも一旦停止をさせる必要がある。そうすると、警報機の有無にかかわらず踏切では一旦停止となるので、警報機のない踏切と限定してしまうことが間違いとなる。もしも警報機のない踏切も警報機のある踏切も一旦停止と設定するなら、
警報機のない踏切 → 一旦停止
警報機のある踏切 → 一旦停止
と覚えさせることになるが、プログラムとしてこれを組むとなると二度手間であり、確かに警報機のない踏切では一旦停止のみでは不足なのは間違いない。
よくよく考えてみると
警報機のない踏切 → 安全確認必要
のみだと、では、警報機のある踏切では安全確認不要なのか?という素朴な疑問が浮かんでくるし、警報機あるんだから安全確認いらねーだろ、という理屈も成り立つ(というか論理的にとらえるとそうなってしまう)。
従って、
問:警報機の無い踏切では必ず左右の安全を確めて通行しなければならない。
というより、「安全を確かめて通行しなければならないのは警報機の無い踏切である」という問い方のほうが実は適切であることが分かる。このように表記すると誤答というか日常的感覚でも、ちょ、待てよ、となるだろう(笑)
つまり、主語が逆なのだ。
警報機の無い踏切では必ず左右の安全を確めて通行しなければならないをグーグル翻訳にかけると
「At railroad crossings without warning devices, you must make sure that both sides are safe before crossing.」
いきなり、場所が先頭にきていることが分かり、やるべきことが後にきてしまい、英語的に考えると非常にまわりくどい。まず結論、言いたいことが最初にくるのがやはり間違いが少ない事の証左だろう。
伊沢拓司、人生で唯一不合格だった試験明かす「テクニックを駆使して解いたら落ちちゃって」
「免許の試験って、クイズ作家的には0点の問題が並んでいる」と続け、筆記試験が「マルバツ100問」だと説明した上で、「『原付は50キロ以上で走行してはいけない』というクイズ、正解はバツなんです。『30キロ以上で走行してはいけない』から。これはクイズとしておかしくないですか?引っ掛けというか…50キロ以上で走行しちゃいけないのは『30キロ以上で走行しちゃいけない』っていう法律だったら当たり前じゃないですか?」と指摘した
「『原付は50キロ以上で走行してはいけない』というクイズ、正解はバツ
この問題も運転免許学科試験特有の言い回しである。
原付 50キロ以上走行の禁止
これを論理問題として考えるとどうだろうか。対偶をとると
50キロ以上走行可能 原付ではない ん? おかしくはないですね。 なるほどだから〇になりますね(笑)
50キロ以上での走行が禁止されているのは原付である
と書き換えてみると人によってはちょっと違和感を感じるはずである。いやいや、原付は30キロ以上の走行が禁止されているよね、と。
警報機の無い踏切問題と合わせて考えてみると、主語というよりは主題→述語がどうなんだと考えた方がいいのだろう。
原付問題で言えば「50キロ以上の走行禁止」という点をクローズアップすると、走行禁止なのは何キロ以上なんだ?という風になる。
とは言え、これ、実は問題を出す出題者の胸三寸でどうにでもなってしまうのである。
なぜなら、日本語で考えるとやはり50キロ以上で走行していいのかという意味で捉えると50キロ以上では走行してはいけないことに違いはない。
警報機問題も警報機のない踏切で安全確認することに間違いはないのである。
従って出題者がそういう意図で問題を出しているとするならば正解は違ってきてしまう。
よって、過去問を解いてその傾向を事前に調べておくことが物凄く重要になってくる。
論理問題かそうでないかは問題文からは分からない
ウェイソンの4枚カード問題は一般的に心理学の話としてよく引き合いに出される。
なぜ人間は論理的に考えることができないのか?といった具合であるが、一方で論理問題として出題されれば論理学の基本をかじっていれば誰でも解けるような簡単な問題でもある。
ここで重要なのは論理学の問題として出題されればという条件つきである。ウェイソンの4枚カードはカードというのがミソである。カードには表があって裏がある。それはセットになっているので表と裏が入れ替わることはない。
一般的な常識問題として解く場合と論理学の問題として解く場合では答えが変わってくる。これがウェイソンの4枚カード問題のいやらしさの本質である。
これは運転免許試験でも同様であって、それは問題文からは読み取ることはできず、ここに過去問検討の重要性がでてくる(笑)
なぜ知識があっても司法試験短答式問題を間違えてしまうのか
5.裁判所は,被告人の精神状態の鑑定を命じた鑑定人が作成した「鑑定の経過及び結果を記載した書面」については,検察官が証拠とすることに同意しない場合でも,被告人が証拠とすることに同意すれば,直ちに証拠とすることができる。
そもそも裁判所の鑑定は321②で問答無用で証拠とできる。という知識はあっても華麗に〇としてしまうのが短答落ちの思考回路なのである(笑)
なぜ知識を持っていても間違うのか?運転免許試験で間違ってしまうのと同じ構造であることにようやく気付く(笑)
運転免許学科試験と同じ構造で間違っている
まず前提知識でいずれにしろ証拠とできるということは知っている。
検察官が同意しなくても証拠とできる、ということになるのだが、次にその場合(検察官が同意しない場合)に被告人が同意すれば証拠とできる、とある。
ここで運転免許学科試験問題と同じような間違いを犯していることが判明する。
被告人が同意すれば証拠とできる、ということ自体は間違いではない。←これ重要
しかし、逆に言えば被告人が同意しなければ証拠と出来ないのか?と言われればそうではない(笑)
さらに掘り下げると
被告が同意 → 証拠とできる
対偶をとる
証拠とできない → 被告が同意しない ← これが正しいと言えるのか? ということであり
さらに、検察官が同意していない場合に正しいのか?ということである。
そのように考えると、そもそも検察官が同意していようがいまいが証拠にできるのであるから間違いであることが分かる。
仮に前提の知識がないとすると、検察官が同意しない場合に証拠とできないのは被告が同意しない場合になるが、これは言わば当たり前と言えよう。
検察官が同意している場合については肢において規定がないので考えても無駄であるが、短答常連落ちはこれも検討してしまい余計に混乱し時間を食ってしまう。
論理問題の解き方で検討してみる
知識がないと解けない問題はいくら考えても無駄である。まれに知識問題であっても問題文や前後の肢から正答を道聞き出すことができる問題もあるが。
そして、本肢のような知識問題にもかかわらずロジックというかレトリックに惑わされて正答にたどり着けないのは結局論理が間違っているという、ある種のドグマに陥っているのが短答常連落ちなのだろう。もう何を言っているのかさえよく分からなくなってきたが(笑)
肢を読んでも何を言わんとしているか分からないときは論理問題の解き方を使ったほうがいいのかもしれない。
司法試験短答式問題の解き方原則
横領背任重なりあい問題の処理の仕方
この問題を解いていてあっさりと間違ってしまうが、改めて肢を見直すとなぜ間違ったのかさえよく分からなくなってくる。
正答が分かってから見直すと確かにそうだな、と思うもののこれは単に答えを合わせているだけである。
よくよく考えると短答の肢の構成は
1.甲は,乙からの委託に基づき,同人所有の衣類が入った,施錠されていたスーツケース1個を預かり保管していたところ, ← 設定
衣類を古着屋に売却して自己の遊興費を得ようと考え,勝手に開錠し,中から衣類を取り出した。 ← 行為
この場合,遅くとも衣類を取り出した時点で不法領得の意思の発現と認められる外部的行為があったといえるから,甲には,横領罪が成立する。← 結論
結論は ある要件に合致しているからこうなるという事を言っているわけだが、この部分が正しいか間違っているかが問題となっている。
この部分の構造は要するにざっくり言えば 「 A は B である」という構造である。
そして、Bという効果や結果になるのかどうかを吟味しなければならない。
Aの部分は要件、言わばBになる理由、根拠が述べられているが、このAからBへの結論が正しいかどうかだけではなく、前提や行為との整合性も勿論問われているのだが、自分の思考過程を改めて分析してみると、もはや混乱していて文章として読んでみてなんとなく感覚で答えてしまっているだけの場合が多い。
設定、行為そのものが正しいかどうかは吟味する必要がなく、AはBになるのかどうかを吟味するために設定などを参照する、というのが短答式の解き方だろう。
まずはBになるのかどうかではなく、Bという結論が提示されているのでBになる根拠としてAは適切なのかということになり、それを吟味するために行為や設定を参照するわけである。
この肢で言えば、 「甲に横領罪が成立する」ためには横領罪の成立要件に合致しているかどうかを検討する必要があるということになる。
施錠されたスーツケースを預かっている ←委託関係あり
遊興費のため ← 不法領得の意思あり
中から衣類を取り出す ← 不法領得の意思の発現
そして、これが横領罪に該当するかどうか?で、判例では窃盗なので間違いとなる。勿論判例を知っていなかったら論理だけで解ける問題ではないし、判例を知っていれば普通に解ける問題である。
またあった(笑)
クイズ王・伊沢拓司 運転免許の筆記試験に不満爆発「僕よりできない人が作ってる」
「雨の日は気をつけて運転しなければいけない」これ○か×か。
これ×なんですよ。
晴れの日でも気をつけなきゃいけないから