短答の論理、否短答落ちの論理 「~でなければならない」とは 義務論理のパラドックス

短答式試験が苦手な人間の典型的思考パターンをお見せしよう(笑)

H19
〔第26問〕(配点:2)
行政事件訴訟法第3条第2項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に関する
次のアからエまでの各記述について,最高裁判所の判例に照らし,明らかに誤りであるものの個数
を,後記1から4までの中から選びなさい (解答欄は ) 。 ,[№57]
ア. 国又は地方公共団体に属する機関がする行為でなければならない。
イ. 相手方の権利を制限し,又は義務を課する行為でなければならない。
ウ. 行政手続法にいう「不利益処分」又は「申請に対する処分」に該当する行為でなければなら
ない。
エ. 国又は地方公共団体以外の者を名宛人とする行為でなければならない。
1. 1個 2. 2個 3. 3個 4. 4個
正答http://www.moj.go.jp/content/000006392.pdf

記事を書いて数か月たち、改めて見直すと本当に凄い事を書いていると思う(意味不明とも言う)(笑)
こんな思考パターンで合格するわけがない。むしろ短答で6割程度の点数をとっている事が不思議ですらある。
さて、この問題、論文問題を解いていて処分性について再確認する際に解いた時はすっかりこの記事を書いたことすら忘れ(笑)、まるで初見のような新鮮さで問題にあたり、そして正解してしまうという。これはこれで問題がありそうだが。
記事の主題になっている肢イについて、今回問題を解く際は権利を与えたりすることも処分にあたるよな、という感覚で×にしたわけで。
そうすると、この思考過程は以前の記事で散々言及していた「~でなければならない」という意味を素直に受け取っている。なぜ以前はそこまで「~でなければならない」に固執していたのか。
そもそも、処分や公権力の行使を理解していない。
処分や公権力の行使に限らず、ある言葉の定義というものをそのままある事例に当てはめようとしてもうまくいかない。
否、むしろうまくいかないものを問題にしているわけだから、定義を覚えてもあまり意味はない(論文で書いたりする場合もあるので意味がなくはない)。定義は定義として、それが具体的にどのような意味を持つのか、世の中の事象について理解しておく必要があるが、さすがにありとあらゆる事象については覚えられない。だからこそ、そのロジックも理解し記憶されなければ全く意味をなさない。
これは結局条文や判例全てにおいてそう言える事だろう。原理原則をきちんと押さえていれば試験勉強をしていなくても毎年短答で9割とれるという現役弁護士の話も頷けると言うものだ。

仮に条文を全て丸暗記したとしても意味がないのと一緒である。否、判例全て覚えていてもほぼ意味がない。
条文や判例、及び学説などをベースにして、それが具体的な事象に対してどう適用されるのかされないのか、そこが問われている。更に言えば、なぜ適用できて適用できないのかを論文では自分の言葉で表現する必要がある。
従って、行きつくところはロジックを理解して記憶しておく必要があるということになる。
過去問をいくらやっても本試験で合格できないのは当然である。過去問を何度もやれば当該問題については記憶していくだろう。当然過去問の点数はあがる。
しかし、本試験では似たような問題であっても言い回しが違う、微妙にケースが違う、選択肢の組み合わせが違う、問題の問われ方が違う、いくらでも違う問題にできあがる。
そうすると混乱してしまう。
本質を理解していないからすぐに馬脚を現すのだ。
なぜ本質、ロジックを理解していないのかと言えば、短答の問題ばかりを解いていることがその理由の一つにあげられるだろうか。勿論短答の問題を解き、そして本質を理解することも可能だろうが、そのためにはその本質とは何かにまず自分で気づく必要がある。これは特に独学の場合問題となる。
短答の場合は単純知識問題もあるし、知識問題に見えてパズル的な問題もある。判例の知識を使った論理問題もある。
間違った問題はまだいいが、正解した問題は逆にその穴が見えなかったりする。
この点論文はその思考過程を表現する必要があり、その知識や理解の曖昧さ、不足、或いは誤解が見事に露見する。第三者に指摘されるまでもなく自分でそれは分かる。
本問について言えば、以前の記事を見て分かるように明らかに的外れな事を言っている。
処分性や公権力の行使に当てはまるもの、当てはまらないもの、という風に基本書などにあげられているものをただ覚えようとしているだけではまったく役に立たず、本質、原理原則、ロジックを理解していないために、言葉尻や言い回し、問題文の表現方法などに無駄に惑わされているに過ぎない。
引っ掛けを引っ掛けと気付かずすぐに引っ掛かり、自分の知識のなさだと反省して勉強し直してもそれが的外れだったら時間の無駄でしかない。
こういう事を総称して頭が悪いと言うのかもしれない(笑)

義務理論のパラドックス

予備試験1週間前に慌てて行政不服審査法を付焼刃的に勉強していました(条文丸暗記とも言う)。
そこで25条執行停止でまさに停止する(笑)
2項必要があると認める場合 ~できる
4項必要がると認めるとき ~しなければならない
確か以前短答の肢でこれと同じようなのに引っかかっていたと思う、ということで当ブログを検索していたらまたこの記事にたどり着いたという次第(笑)
再度上記の過去問をやって正解してもなんだかしっくりこない。とは言え、肢アについてはすんなりと理解できるので(国又は地方公共団体に属する機関でなくても該当するという事は)、なぜ肢イで毎回躓いてしまうのか?
そこで、これを論理問題として考えたらどうなるのだろうかということで少し検索(勉強せーよ(笑))

義務論理のパラドックス
ロスのパラドックス
ロスのパラドックスとは、「手紙を投函すべきである」という命題から、「手紙を投函するかもしくはそれを焼却するかすべきである」という命題が導けてしまうというパラドックスである。

ロスのパラドックスにピンときてしまう。理屈はどうあれ、こういうことなのであった。
●●でなければならない、とは確かに●●でなければならないかもしれないが、●△がダメであるとは言っていないのではないか?という事である。
これは結局「~でなければならない」という言葉にどういう意味を持たせるのかという事であり、この場合はそれ以外は排除されるという意味で使われているという事なのである。
ただ、それだけなのだ。それ以上でも以下でもない。論理がどうのこうのという問題ではない。

(執行停止)
第二十五条 審査請求は、処分の効力、処分の執行又は手続の続行を妨げない。
2 処分庁の上級行政庁又は処分庁である審査庁は、必要があると認める場合には、審査請求人の申立てにより又は職権で、処分の効力、処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止その他の措置(以下「執行停止」という。)をとることができる
3 処分庁の上級行政庁又は処分庁のいずれでもない審査庁は、必要があると認める場合には、審査請求人の申立てにより、処分庁の意見を聴取した上、執行停止をすることができる。ただし、処分の効力、処分の執行又は手続の続行の全部又は一部の停止以外の措置をとることはできない。
4 前二項の規定による審査請求人の申立てがあった場合において、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害を避けるために緊急の必要があると認めるときは、審査庁は、執行停止をしなければならない。ただし、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときは、この限りでない。
5 審査庁は、前項に規定する重大な損害を生ずるか否かを判断するに当たっては、損害の回復の困難の程度を考慮するものとし、損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案するものとする。
6 第二項から第四項までの場合において、処分の効力の停止は、処分の効力の停止以外の措置によって目的を達することができるときは、することができない。
7 執行停止の申立てがあったとき、又は審理員から第四十条に規定する執行停止をすべき旨の意見書が提出されたときは、審査庁は、速やかに、執行停止をするかどうかを決定しなければならない。

以前の記事↓

肢イ 権利を制限し又は義務を課する行為でなければならない とは 他の行為でも処分性ありと認められるのか?
言い換えると、権利を制限し又は義務を課する行為のみに限定されるのか?
この文章表現で他の行為も認められると読んでしまうとこの肢は〇になる。否、肢自体は×か(笑)
仮に他の行為であっても処分性はあると分かっていても読み方次第で違う答えになってしまう。これが短答常連落ちなのだ。

この肢が言っていることはすなわち
「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」=権利を制限し又は義務を課する行為
ということになる。ということは行政庁の処分も権利を制限し又は義務を課する行為でなければならず、その他公権力の行使に当たる行為も権利を制限し又は義務を課する行為でなければならない。

~でなければならない、とは文字通り~である必要があり、これ以外は許容されないということである。
行使・権利の行使・私力の行使・公権力の行使

行政庁の処分 公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうちで、その行為により直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているもの

公権力の行使 国又は公共団体の作用のうち純粋な私経済作用と国家賠償法二条によって救済される営造物の設置又は管理作用を除くすべての作用

そうすると、公権力の行使の定義に肢イはひっかかることになり、×となる。
正答も×でいいようだ。
そもそも知識が曖昧であったという点はあるが、公権力の行使ってもっと広い概念だったというかすかな(笑)記憶はある。
そして肢のイを見た時、行政庁の処分は確かにそうだよな。だとしたら〇だな。
しかし、公権力の行使・・・となりこのあたりで混乱を始めるようだ(笑)
~でなければならない、というこの言葉の意味するところが他の事象を排除するのか許容するのかが分からなくなってくると言っていいだろう。これは日本語の問題でもある。

~でなければならない、とはそもそもどういう意味なのか検索してみると興味深いことが分かる。
~する必要があるとか、~する義務がある、などというのがヒットしてくる。
文法的に、あるいは英訳すると、やはり、mustやhave to になる。
~でなければならない、というのは論理的にはどうか?
これは結構難問なようだ(笑)
勉強しなければならない場合、勉強しないとルール違反になるのは分かるが、仮にご飯を食べるとそれはルール違反なのか許容されるのかという話になる。日常的な感覚からはちょっと変な話だが、勉強しなければならないとするならずっと勉強し続ける必要があるということになる。論理的にどうのこうの言い始めるとさらに混乱してしまう。
そもそも論理学の問題ではない(笑)

そうすると~でなければならない、というものを文字通り、そのまま読むしかなく、

行政庁の処分=相手方の権利を制限し,又は義務を課する行為でなければならない
その他公権力の行使に当たる行為=相手方の権利を制限し,又は義務を課する行為でなければならない

となる。やはりその他公権力の行使にあたる行為の定義に肢イは当てはまらないということになる。

ここに行きつくまでにかなりの時間を必要としたが(笑)、そもそも知識を正確に記憶しておけば秒殺の問題だったと言える。
知識が曖昧だからこそ混乱しているのだ。しかし、知識もさることながら言葉の言い回しでこれだけ振り回されていれば、そりゃ合格するなんて夢のまた夢だろう。。。

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