令和6年予備試験 撤退

2024年、令和6年、今年も予備試験は見送った。
今年は願書さえ出さなかった。金欠ということもあるが、それ以上にもはやモチベーションがない。
スポーツ選手が年をとって引退するのは体力などの低下よりもモチベーションの低下によるところが大きいのだろうと改めて痛感する。
そもそも30代前半くらいであれば肉体的にはさほど経年劣化していないはずで、多少の劣化は経験でカバーできるだろう。
10代後半の選手と体力的には大して違いはない、いやむしろパワー的なものは上回っていることもあるだろう。
にも拘わらず若い選手に負けてしまうのは自分でも気づいていない精神的なスタミナが低下している部分が大きいのだろうと個人的に思う。
それが40代、50代ともなれば現状維持さえ難しい。新たな挑戦など思いもしない人間がほとんどのはずである。
以前は勉強していなくてもとりあえず願書は提出し、試験前の数か月だけでも勉強はしていたのだが、もはやそんなことしても無駄だと分かっている。
要は自分に期待することをやめたということなのだろう。その期待とは結局なんの根拠もない願望、妄想だったに過ぎない。
単に現状を受け入れられず現実逃避していただけなのだ。
あきらめたらゲームオーバーなどと、若い人が好むような言葉は年老いた人間にはなんの意味もない。
言わばやる前からゲームオーバーな事もある。確かにあきらめなければいずれ成功するかもしれないが、成功したとしても時すでに遅しということもある。
何事もタイミング、時機というものがある。やり始めるのに年齢は関係ないとか、遅いということはないとか、これまた巷間好まれる言葉もあるが、それもものによるだろう。
貴方はやればできる子とか、まさに無責任の極み。やってもできない事もあり、その取捨選択を教えるべきだろう。もっとも、このような無責任な事を平気で言うような大人は適切な選択肢など何も考えてはいないだろう。貴方のやりたいことをやればいい、などと言うはずである。
自分がやりたい事だけやって成功できるのはほんの一握り。
極論すれば芸能界やプロスポーツの世界と同じなのだ。ほとんど大多数の人たちはやりたくもないような仕事で飯を食っている。
それを踏まえた上で夢を語るのはやぶさかではないが、最初から夢で食っていけるよう幻想を与えるのは洗脳教育に等しい。
自分のやりたいこと、やれないこと、できること、などをできるだけ早い段階で決定したものは現状と将来の自分を受け止めたのだから成功しようが失敗しようがやはり強いのだ。
とは言え、まだまだ司法試験突破はあきらめていないのが私のたちのわるいところである(笑)

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