遺失物横領と窃盗と無主物先占

道路に咲いている花を持ち帰っても怒られないのか?

(無主物の帰属)
第二百三十九条 所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2 所有者のない不動産は、国庫に帰属する。

独り言↓

「一見なにも論点のないようなこの規定に立ち止まるのが短答落ち。。。
あるテレビ番組で道路に生えている草とか花とか勝手に持って帰っていいものかわざわざ道路管理者に聞いていた(笑)
管理者側曰く、「無主物なので所有の意思をもって占有した人が」という民法239条を持ち出し、自分たちのものじゃないから云々かんぬん言っていた。
いや、結局のところ無主物だとしても誰かが所有の意思を持って占有していたらその人の所有物になるのであり、その誰かが誰もいないかどうかが問題だろう。
仮に道路管理者が道路に生えているものは全て私たちの物だとして世話していたりしたら道路管理者の所有物だとされかねないわけで、そうすると無主物だろうという推測でその草木を持って帰ったりしたら窃盗で捕まるかもしれないじゃないか。。。
また、特別法のようなものがあって、道路に生えている草木花の類を許可なく持ち去ってはいけないとかそういう法律もあるかもしれない。そんなものは一般人はおろか弁護士だって知っているとは限らない。

というのが短答落ちの論理であり、このような考え方ばかりしているから短答には受からないのである(笑)
一般常識的な正論と、ある事象を法に適用する作業とは違う。特に試験問題として法律を扱う場合は社会的なロジックと論理を逆に考える必要がある。
一般常識的な正論を法に適用していく作業は試験に合格した後弁護士になってからやればよい。いわゆる、ある結論に導くために適当な解釈をしていくというやつである。」

さて、話を戻そう。
無主物を仮に自分の物としたらどうなるのか?窃盗なのか?遺失物横領なのか?
思考実験を色々とやっていて遺失物横領の問題の処理の仕方の一つが分かる。
湖底に落としたダイヤの指輪
以前も同じような論点で記事を書いているが、読み返しても分かりにくいことこの上ない(笑)

遺失物横領の要件とは

所有者が存在する
占有を離れている

少なくとも大枠として上の2つがある。所有者とは?占有とは?などの個別の論点もあるが。

所有者がいないものはそもそも遺失物横領の客体とはならない
誰かの占有が認められるものも遺失物横領の客体にならない

もっとも、他の犯罪に該当する可能性はある。しかし、試験問題としては●●罪が成立するか?という形式なので、他の犯罪については吟味する必要はない。
短答落ちはここで他の犯罪まで勝手にイメージしてしまいがち。

無主物は遺失物横領の客体にならない

そうすると、無主物は遺失物横領の客体にならないので問題文に無主物とあればそれは該当しない。無主物の定義がどうあれ事例問題でなければ無主物の意味を吟味する必要は基本的にない。
試験問題と出題される場合は、所有者がいるかいないか、占有を離れているかいないか、よく分からない、争いがあるなどのパターンになる。
とは言え、試験問題的には正誤があり、正誤の判断がつかないものでも選択肢の中で答えは1個になっている。

昭和の頃の刑法短答の遺失物横領の問題を拾ってみるとわずか4問しか出題されていない。司法試験短答式試験過去試験問題 刑法(問題編)

36-54占有離脱物横領罪の客体とならないもの
47-57占有離脱物横領罪にいう「占有を離れたる他人の物」にあたらないもの
51-19占有離脱物でないもの
60-63占有離脱物横領罪の客体にもっともなり得ないもの

問題の設定は表現は違えど結局同じことを問うていることが分かる。

誰かの占有があれば遺失物横領の客体にならない

〇所有者がいない場合は客体にならない
〇占有があれば客体にならない
これに当てはめていけばよいことになる。所有者がいる場合に成立するからと言って所有者がいる場合をピックアップしていこうとする混乱するのが短答落ちである。
出題が客体にならないもの、成立しないものなので、客体にならない、成立しない要件として適用しいくほうがよい。

ゴルフ場でロストしたゴルフボールは誰のものか?所有や占有は当事者によって変わる?

無主物先占では著名な判例として ゴルフ場内のロストボールを盗んだ事案がある。昭和62.4.10刑集41.3.221
この場合、承継取得したか無主物先占したか争いあるもののいずれにしろゴルフ場の管理者の占有がロストボールに及んでいると判断されている。

万引きした古本に挟んであったへそくりは誰のものか?

くず屋が買ってきた古新聞の間にはさんであった札束 昭和47年の肢4
この札束は返すべきものなのか?それともくず屋が貰っていいものなのか?

今で言えばブックオフなどで買い取った本の中に紙幣がはさんであった場合などだろう
これは占有離脱物横領罪にいう「占有を離れたる他人の物」にあたるだろうか?本自体は当該本を売った本人の占有を離れていることは容易に分かる。
勿論所有権も放棄されている(所有権は移転している)。しかし、本に挟んだお金についてはどうか?
お金も同様に解すると、いわゆる無主物とも言え(本を買い取った時点でブックオフに所有権が移転)、またいずれにしろブックオフに所有権があると考えられる。つまり占有離脱物横領罪の客体にはならない。
しかし、正解は「占有を離れたるものにあたる」

古本に挟んであるお金を勝手に頂戴すると遺失物横領になるロジック

占有を離れたるもの、ということはつまり所有権はあるということであり、この場合所有権は誰にあるのか?
くず屋にお金の所有権があるのならば結局占有もあるとしたほうがすっきりするが、本の所有権はあるが本に挟んであるお金の所有権=占有権もないのであれば、結局お金の所有権は本を売った人にあるということになる。

恐らく、本を売った人間は本を売ったのであって、そこに挟んであるお金まで一緒に売ったわけではないから、お金の所有権自体は放棄していない、というロジックなのだろう。
つまり、占有離脱物というためには所有権はそのまま元の所有者が保持しつつ、占有だけが離れてしまった物ということになる。
そうすると、窃盗と占有離脱物横領の違いは占有があるかないかであり、占有があるとは一体どういう状態をいうのか。現実に物を手に持っていなくても、例えば留守にしている自分の家に泥棒が入って物が盗まれれば窃盗であり、占有離脱物ではないことは明らかである。
他方、お店の前に放置されていた自転車を盗めば占有離脱物横領に問議されることが多い。しかし、この場合、駐輪場に施錠していた場合は窃盗であろう。
従って、占有離脱物横領罪というのは主観的には所有権を保持したままで、客観的には所有権が放棄されているように見えるような物に対して成立するものである。

へそくりの挟んである古本を知らずに万引きした場合

さて、ここで仮に当該本を万引きしたとしよう。
すると本については窃盗、お金については遺失物横領となる、これが判例などからの帰結となる。
ここでもし、いや万引きした人は両方について窃盗だとしてしまうと人によって所有や占有が変わってくるということになる。
それとも両方について窃盗なのか?
A 電車内に置き忘れられた鞄 と B 銭湯のロッカーに忘れた財布
紙屑屋がお金を払って購入した紙屑の所有権は当然紙屑屋に移転している。しかし、その紙屑の中に札束があった場合にそれを領得すれば遺失物横領が成立するという。
窃盗ではなく遺失物横領というのがミソである。
誤配された封書を領得すれば遺失物横領であるが、その中に入っている札束を領得しても遺失物横領になるという。
従って裁判所は当該物自体が占有を離れたとみている。

自転車置き場の自転車と放置自転車あるいはゴミ置き場の自転車

自転車置き場で施錠されている自転車は一見すると占有を離れているように見えるがこれを領得すれば窃盗である。これは間違いない。
しかし、放置してある自転車は微妙である。窃盗犯人が乗り捨てたものを領得すれば遺失物横領に問議されるようだが、ゴミとして捨ててあれば所有自体が放棄されているのでこれを領得しても犯罪にはならない。しかし、ゴミ集積所など管理されたところから領得すれば遺失物横領に該当する可能性がある。
いずれにしろ占有を離れているかどうかはかなり難しい判断を迫られる。

へそくりの所有権は移転していない 判例の不自然さ

もっとも、古本を買い取った業者に本及び本に挟んであった紙幣の所有権が移転するという構成も考えられるはずである。そうしていないのは紙幣についてはいわゆる遺失しているのと同じ扱いをしているからである。
この観点からゴルフ場でロストしたボールを考えると、ゴルフ客はロストしたボールについて遺失した(占有を離れた)と言えるのか所有権を放棄したと言えるのか?やはり微妙である。
また、当該ロストボールを無断で持ち去る行為を窃盗としているのは少なくともゴルフ場の占有を侵害しているからだとすると、本に挟んである紙幣もブックオフに所有権はなくても占有はありとすることも可能になる。
ゴルフ場の管理者には当該ロストボール自体がゴルフ場内にあるという確定的な認識はないはずで、あるとしても潜在的なものだろう。
そもそも古本の買取のような所有権の移転を明確に伴ってはいない。仮に、ゴルフ客がロスとしたボールの返還を請求したら返還に応じなければならないだろう(例えばボール記念品であり、マークがしてあり、ロストした場所も分かっているから自分で探すなど言われたら)。
とは言え、ゴルフ場内にあるものはゴルフ場管理者の占有があるとも言えるわけで、第三者が勝手に持ち出すのはやはり窃盗を構成するとした方がすっきりする。
ロストしたボールは客から見れば遺失物だが、第三者が勝手にそれを持ち出せば窃盗という具合である。
所有権が承継取得されたか、無主物先占したかどうかに関係なく、潜在的にも占有が観念できる場合はやはりある。
買い取った物の中にへそくりなどがあった場合、それをブックオフ店内に遺失されたものとしてもブックオフに占有があるとすることも上記のロジックからはできることになる。
本に挟んである紙幣の所有権はブックオフにはないが、占有はあるとしたほうがむしろスッキリする。
所有権自体は本を売った人に残るから、本を売った人はブックオフに対して本に挟んであったお金の返還を請求することはできるはずである。

そして思う。
所有権はあっても占有を離れたもの、という考え方が結局技巧的なんだと。なぜ、遺失した物だと罪が軽くなるんだと。
条文を見ると遺失したものと占有を離れたものを区別していることが分かる。道に落とした物と占有を離れた物は別の客体である。道に落とした場合は自分の意思とは関係なく占有を離れているが逆に占有があるとみることも可能である。むしろそのほうが分かりやすい。
本来的な占有を離れたとは期せずして自分の実力的支配から離脱したものだろう。占有者の実力的支配が客観的に可視化できるような場合は占有がある。
そう考えると道に落ちている札束は占有者がいてそれを放棄していないだろうと推察されるので占有はあるが、遺失物であることには間違いないので遺失物横領の客体となる。駐輪場に施錠されている自転車などは明らかに所有者がいてそれをまた使用するためであることが分かり、実力的支配があることが分かる。従って窃盗であろう。
誤配された封書は微妙である。所有者が別にいて別の配達先があることが分かるので本来それを領得するのは窃盗とする方が分かりやすい。
遺失物横領が窃盗よりも軽いのは結局所有者=占有者がいるかいないか分からないような物は領得しても仕方ない部分があるという考慮ではないか。
留守の家に忍び込みお金を盗んでも占有離脱物横領とはならなず窃盗である。それはとりもなおさず占有というものが観念されているからだろう。
占有というものは現実に持っているというよりも誰が所有者かは分からなくても客観的に見て所有者がいるということが分かることではないだろうか。
そうすると誤配された封書のようなものは占有をはなれていても所有者がいることは分かる。実力的支配があるかないかよりも、物理的に占有は離れているが、その物に占有を及ぼす意思が観念できるかどうかで考えたほうがいいのかもしれない。
誤配された封書は占有を離れているし、なんなら所有権さえ放棄するつもりであるといえる。自転車置き場の自転車は物理的に占有は離れているが所有者は所有権=占有を放棄するつもりはない。
電車の中に置き忘れたカバンはも同様だが、これは遺失物であり、電車の管理者や公共の場云々を持ち出す必要はない。
銭湯のロッカーに置き忘れた財布についても銭湯管理者の占有云々を持ち出すまでもなく、物理的に持ち主の占有は離れているがその物に占有が観念できる。この点道に落ちている財布は遺失物としての客体であり、ロッカー内は留守中の家同様の発想ができよう。

浴客が銭湯の脱衣場に置き忘れた現金

昭和60-63の肢2「浴客が銭湯の脱衣場に置き忘れた現金」
これは遺失物横領罪の客体にはもっともなりにくいという。つまり、占有を離れてはいないからである。
問題は誰の占有なのか?
ロストボールの事案とは違い、所有権は放棄されてはいないと考えられるので銭湯に所有権が移っていることはありえない。
古本に挟んだへそくりと同じように所有権は元の所有者に残っているが占有を離れたと考えてしまうと遺失物横領の客体になってしまうから、問題の正解からは浴客の占有は離れていないとしなければならないが、そうすると置き忘れ、遺失ってそもそもなんですか?となって収拾がつかなくなる。

所有権なき占有と占有の競合?

占有は銭湯にあるとみるのが判例のようである。条解刑法P747
これに排他的実力的支配が必要ともっともらしい事を言っているが、要するに所有権なき占有ということになる。

一つの物に対してある人から見ると占有があり、ある人から見れば占有がない場合がある

別の見方からすれば浴客の占有は離れているということになり、しかし、それを持ち去れば窃盗になるという。一つの物に対して実は占有が競合している?
この点遺失物横領の客体は「占有者の意思によらないでその占有を離れ、いまだ誰の占有にも属さないもの」条解刑法746Pをいうので、競合するにしろしないにしろ誰かの占有があれば遺失物横領の客体でhない。
そうすると、古本に挟んであったお金であっても同じような考え方ができそうであるが、仮にブックオフの占有があったとしてもそこに排他的実力的支配がないということになるのかもしれない。
とはいえ、銭湯内とブックオフの店舗内での排他的実力的支配と考えると差異はなさそうであるが、ほとんど短答でも取り上げられていないような論点とも言えないような部分にこれ以上深入りしても利益少なし(笑)

窃盗と占有離脱物横領或いは遺失物横領の違い

※追記
改めてみてみると、
窃盗は 占有を侵害するもの
占有離脱物横領は それ以外
と言えるのではないか?
道路に落ちている免許証入りのお金がたんまり入った財布をネコババすると遺失物横領だろうが、なぜかと言えば占有を離れているからと説明される。
しかし、持ち主はほぼほぼ所有権を放棄していないだろう。それは誰が見てもそう思うに違いない。占有を離れている、と言えば形式的にはそう言えるが、駅前の駐輪場に施錠されて置かれている自転車だって占有を離れていると言えばそう言える。
「占有を離れている」という概念が非常に微妙な観念的なものが故に腑に落ちないものになっている。
しかし、窃盗に問議された事案と遺失物横領を比べると少なくとも窃盗の場合は必ず誰かの管理下に事実上あることが客観的に明白である。
そういう意味では古本に挟まれているお札はお店側は知らない可能性が高い。従って、お店の管理下にあることが客観的にも主観的にもよくわからない。かと言って、本来の持ち主は所有権を放棄しているわけではないが、占有は客観的には離れていると言えよう。このような場合は占有を侵害したとは言えないくなる。
一方ゴルフ場のボールを手に入れようとすれば、まずゴルフ場に侵入しなければならず客観的にみればゴルフ場の管理下にあるものを奪っているため占有を侵害しているといえる。この場合所有権が誰にあろうが占有を侵害していると評価できる。管理権が及んでいるものの確かに当該ゴルフボールが落ちている事自体はゴルフ場としては認識していない可能性が高く、占有していないとも言えそうであるが、そのように解釈してしまうとゴルフ場内にあるあらゆる物について占有しているという認識が必要となってしまう。この点古本に挟まっているお札も同様ではないかという批判があろう。私見ではやはり古本に挟まっているお札を仮に本屋で見つけて抜き取れば窃盗であり、家に持って帰ってその事に気づき、そのまま領得してしまったら占有離脱物横領となる。

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