NHK教育を見ていたら「法の支配は王様などの権力者も法に従わなければならない原則」、みたいに説明されていたがちょっと違和感。
法の支配と法治主義の比較、あるいは異同などについての問題が司法試験などでも出題されていた。口述試験で一言で説明せよと言われた場合恐らくこの説明ではダメなのではないか?
法治主義と法の支配
法治主義というのは、簡単にいうと、法律に則って政治を行うという原則
法の支配というのは、中世のイギリスにおいて生まれたもので、「法」が国家をありようを統制し、いかなる権力者も法によって拘束される
なるほど間違いではなさそうである。
また、こうも記載されている。
「法治主義」と「法の支配」との決定的な違いは、法がしばる相手が違うということです。法治主義では、法律によって統治する対象は国民です。法律というルールを定めて行うというだけで、「法による統治」が「法治」になるわけです。
他方で、「法の支配」によって支配されるのは権力(者)です。王様が領民を支配していても、その王様さえも法には逆らえないという仕組みなのです。
法治国家では法の及ばない権力者が存在するとしても勿論、法でそのように決めれば問題ないということであろう。
しかし、両者の違いという観点からの説明にはなっていないような気がする。法治国家で権力者も法に従えという法律があったら当然法律に従わなければならないはずで、この時に、否、わが国では例えそのような法律があったとしても法の支配ではなく、法治主義を採用しており、法治主義というのは法律の対象が被統治者なのだから統治機構に属する者は法律に従う必要がない、などという理屈もあながち間違ったものではなくなる。
つまり、何が言いたいのかというと、同じ法によって国家が運営されるという面では共通しているはずであり、実質的に何がどう違うのかという話である。
上記の説明だと間違いではないが必要十分な説明ではないような気がする。
「法の支配」と「法治主義」の違いを教えてください。
「法治主義」→王様も法律を守らなきゃいけない。でも、法の内容は関係ない。どんな悪法も法。(形式的)
「法の支配」→国民主権や人権に反する悪法は法ではない。(実質的)
確か、旧司憲法短答でも似たような問題が出ていたように思う。実質的とか形式的とか何言ってんだと思っていたが、結局一部分だけを切り取った表面的な説明ではなく、本当に両者の違いを理解しているのかが問われていたのだろう。理解していないと当てずっぽうで解くしかない。
ということで旧司短答憲法の問題をあたってみよう。
芦部先生の本を読んでも正直よく分からない。全般的に概念をざっくり説明していることが多く、芦部説を解説したものが別途必要である。
憲法の問題は芦部先生の本から出題されていることも多いと聞くが、だからと言って芦部本を読んだだけでは私には解けない短答の肢が多い。個人的には芦部本は論文試験には使えても短答には使いにくい。ましてや判例問題が多くなった現在の司法試験ではあまり有用ではないと感じる。
そもそも論として、昔の旧司短答憲法のまるで禅問答のような、或いは言葉遊びのような短答憲法は果たして意味があるのか疑問がある。とは言え、よくよく問題を分析してみると前述の如く、きちんと理解していれば楽勝だと思われるような問題も多いわけで言葉遊びだと感じているのは理解不足なだけなのだろう。
辰巳法律研究所短答合格FILE憲法の解説によると
法によって権力を制限しようとする点は共通している
法治主義 国家作用が行われる形式、手続きを示す いかなる政治体制とも結合 → 内容とは関係ない形式的な意味での法律
法の支配 民主主義と結合 個人の権利、自由を保障する合理的な内容のものでなければならない
つまり、法治主義と法の支配の違いについて説明せよと言われた場合に
大きく2つの説明方法があり
一つは形式的表面的に説明する方法と
一つは実質的に説明する方法がある
と言うことになり、実質的に説明すると法治主義の形式的な意味がでてくる
(笑)
形式的な意味とか実質的な意味とかで思い出されるのは誤解だらけの近代的意味の憲法とか固有の意味の憲法とか
つまり
法治主義は形式的な意味での法律によって国家運営がなされている場合の統治体制を言い
法の支配というのは人権保障に反するような法は法として認めない法によって国家運営がなされている場合を言う
と言っていい
従っていくら法律として制定されていても大統領になれば好き勝手に人を殺してもいい、などという法律は当然無効になるというより法として認められないのが法の支配であり、法治主義だけであれば違憲無効とされない限りは有効であろう。
そういう意味では、日本は法治主義を基礎としており、法の支配は憲法判断のところで出てくるに過ぎないのかもしれない。
結局これは手続き的な側面から言っているだけなので、法の支配というのは多分に概念的な思想的なものと言っていいだろう。
例えばいくら法の支配を採用していますといっても、それが法律として制定されていなければ画に描いた餅となってしまう。仮に、ある法律が議会によって制定されたとして大統領がそれは法の支配に反するからと言って執行しないということができれば、結局それは権力者の匙加減一つとなりかねない。
いずれにしろ、法律でそのように規定する必要があろう。
従って、法治主義と法の支配というのは対概念ではない。
悪法も法だとするのが法治主義、というのは実は言い過ぎで法によって国家を運営、統治していく建前とするのが適切だろう。
その結果として悪法も法となりうるということである。
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