法律は論理的か?法的三段論法とは何か?

論理学における三段論法

参考文献 論理学の初歩 P68~
「前提が2つ以上の命題からなる推理は間接推理と呼ばれる.とりわけ重要なのは.前提がちょうど2つからなる演繹推理であり,これを三段論法(syllogism)と呼ぶ」
「定言三段詮法,仮言三豊論法.選言三投論法と.さらに仮言命題と選言命題を組み合わせた両刀論法との4つに分類される.」

定言三段論法

一般的に言われる三段論法は定言三段論法のようである
大前提→小前提→結論
例 
大概念 P=動物 小概念 S=日本人 媒概念 M=人間
すべての人間は動物である
すべての日本人は人間である
ゆえにすべての日本人ば動物である

一般原則

三段論法は主語概念且と述語概念且とのこ致・不一致が第三の概念(媒概念) Mとの関係によって決定されるという特徴を持つ推理
① 2つの概念S, Pが第三の概念Mに共に-致するときは2つの概念S, P
はまた互いに-致する.
②2つの概念S, Pの一方が第三の概念Mと-致し,他方が一致しないときは.
その2つの概念S、Pは互いに一致しない.
⑥ 2つの概念S,Pが共に第三の概念Mに一致しないときは.その2つの概念S.
Pの関係は不定である(-致する場合も-致しない場合もある).

三段論法は形式だけでは判断できない

大概念 すべての猫は動物である P→M
小概念 すべての犬は動物である S→M
結論 ゆえに すべての犬は猫である S→P
一見すると三段論法の形式に当てはまってはいるが、明らかにおかしい。おかしいのはなんでか?というのを学術的に説明できるのが論理学であって、常識的に言っておかしいとか、すべての犬が猫であるのは論理的におかしいなどと言ってそれでよしとするのはそれって感想ですよねと同じ類である。
実は原則の他に規則が6つあり、規則3において「媒概念Mは大前提P小前提Sのどちらかに少なくとも一度は周延していなくてはならない」というものがありこの規則に合致しないため三段論法が成立しないのである。

詳しくは参考文献に譲るとして一口に三段論法と言っても単に大前提小前提結論があれば成立するものでもない。
法的三段論法と言ってもどうやらこのような原理原則規則を前提にして言っているわけではないようである。論理学とは別の観点からの法的三段論法と言う講学上の概念があるのかもしれないが。

法科大学院の教室における2つの法的三段論法

まず、「論点」とは、前述した殺人罪にお
ける「人」の始期のように、条文などの法規
範を事実にあてはめた結論が一義的に明ら
かとはならない場面である。このような論点を
発見するまではオリジナルな法的三段論法
の実践で足りる。論点を発見したら、かかる
論点を指摘して(本稿では「問題提起」と呼
称する)、いかに解決すべきかの検討を始め
る。
そして、このように発見した論点の解決の
ための議論の仕方もまた「法的三段論法」
によってなされる。すなわち、当該論点に対
して判断基準となる「規範」を定立し、その
規範に当該事案をあてはめるという形で結
論を出す。ここに「規範→事実→あてはめ」
というオリジナルバージョンの法的三段論法
を見出すことができる。
ここでいう「規範」とは、学部の専門科目
や法科大学院の未修者向けの基本科目講
義、教科書等で「〇〇説」等として学習する
内容のことである。いわゆる「解釈論」ないし
「一般論」と呼ばれるものである。例えば、前
述した殺人罪における「人」の始期であれば、
一部露出説や全部露出説といったものが規
範に該当する。
そして、採用した規範に、出産中に母体
から一部のみ露出している嬰児の生命を奪
ったという事実をあてはめる。一部露出説で
は、当該嬰児は母体から一部露出している
ので人と評価できるとし、殺人罪の成立を認
めるという結論になろう。他方、全部露出説
であれば、当該嬰児は母体から身体の全部
が露出していないので殺人罪は成立しない
という結論になる。

結局論理は関係ないのではないか問題

短答対策
とりあえず最近の気づきをまとめる短答と論文論文の答案構成は短答対策にもつながる。いや、むしろ短答が苦手な人間ほど論文答案構成はやるべきだ。独学と予備校積極的に各予備校の講座は利用すべき。独学は独善的になりやすく、疑問点解消に時間がかかり非効...

イ.聴聞の期日における審理については,聴聞の主宰者は,非公開で行うことができ,行政庁が
公開することを相当と認めるときを除き,公開する必要はない。

この肢についてかなり長い事記事を書いていた(笑)
正直バカっぽい(笑)改めて解いてみると、当然条文自体は忘却の彼方だが、肢だけをみると「非公開で行うことができ」ということは公開するかしないかは裁量であって義務ではない→要するに公開しなくてもいいし、公開してもいい。条文そのものを忘れている為お話にならないが肢が言っていることはこういうことだろう。
従って条文が原則的に公開を定めていたり、非公開を定めている場合はこの肢は×になるということである。
また非公開が裁量だとして、「公開することを相当と認めるときを除き」とあるので公開についても裁量があることになり、結局公開非公開は裁量ということになるので、条文が原則公開を定めていたり、或いは原則非公開を定めていたりすればこの肢は×になる。

問題の本質が見えているのかいないのか?

ということでこの肢を理解することができた。
改めて、自分の書いた記事を読もうとするともはや読めない(笑)
こんなことを考えていたのではやはり短答の問題は少なくとも正解にたどり着けないはずである。仮に条文知識を持っていても、肢の言い回しに引っ張られて問題の本質が見えていないのだ。

改めて気になる点を抜粋
「条文はある条件以外(相当と認める時)は非公開という事を言っている」⇒要するに原則非公開で裁量によって公開できるときもあると読める
「肢には条件も付されている。この点、この条件だけをみると、この条件に合致すると公開しなければならないと読める」⇒これは間違った解釈だろう
「肢はまず裁量で非公開にできると言い、公開するのを相当と認めたら=裁量→それ以外は非公開と読める」⇒それ以外は非公開とは読めないのではないか

正確な条文知識の本当の意味

「前提としては正確な知識がなければ話にならないわけで、今回の肢で言えば正確な条文知識である。そこで「確か聴聞は公開しなくてよかったよな」だが、これくらいの知識だと結局使い物にならないことが分かった(笑)」
正確な条文知識とは、条文を字面で丸暗記することではない。条文にはどこにも原則公開だとか裁量で公開できるなどとは書かれていない。

6 聴聞の期日における審理は、行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない。

これの意味するところをきちんと理解するということは、一言一句正確に覚えるということではないということである。
「行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない」ということは原則は非公開である、ということであり、それは原則非公開であって行政庁の裁量で非公開にできるわけではないということである。しかし、条文には相当と認める時を除き、という条件がある。
公開することを相当と認めたら必ず公開しなければならないのか?それともそこに裁量が働くのかは条文からは定かではない。従って原則非公開とは言えるが、公開非公開にまったく裁量がないとも言えないということになる。
もっとも公開したくなければ公開することを相当と認めなければいいだけの話なので、公開することに関しては裁量が働くことになる。ここで公開するかしないかに裁量が働くとしてしまうと、原則非公開に反してしまう。
これはあくまで基本書や判例などをまったく考慮せず、条文だけを見て考えている個人の思考実験であるので、このような問題意識を持ちながら条文を読み、そして基本書やコンメンタール、判例などで書かれていない要件や前提、条文の解釈や実際の当てはめなどを勉強する必要がある。

条文は日本語に解釈翻訳しなければ使えない

6 聴聞の期日における審理は、行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない。

公開することを相当と認める時を除き公開しない、という日本語は誰しも理解できるはずで、この条文知識を知っているか知らないかだけが問われる試験ならばこの条文そのまま出題して穴埋め問題にすればいい。
しかし、司法試験の問題はほぼほぼこういう場合は正しいか間違っているかの当てはめ問題と言える。
三段論法で言えば肢は小前提にあたるだろう。そして大前提が規範になるのだが、当てはめも問題だが、その前提となる規範が間違っていればお話にならない。
一般的には司法試験で問題にされがちなのは当てはめだと思うが、当てはめが間違うのは規範がきちんと理解されていない場合が多いのではないか。
論文式ではこの点が論点などとして明確に表れてくるのである意味勉強しやすいとも言えるが、短答式ではなかなか分かりにくい部分がある。

6 聴聞の期日における審理は、行政庁が公開することを相当と認めるときを除き、公開しない。

こんな条文に論点がある、などと言う人は誰もいないだろう。
しかし、法的三段論法で言えば大前提の規範部分をきちんと理解していないと当てはめで間違ってしまうことになるのは同じことである。
争いがあったり、問題とされているような論点でなければあまり手を付けないのが王道だろう。それで立ち止まって条文を見直すということもない。仮に過去問を解いていて間違っても条文知識だと条文を確認してそれで終わりということも多い。
地頭の良い人は恐らく一度見ただけで何が問われているのかとか、なんで間違ったのかということが瞬時に理解できるのかもしれない。そして当然記憶もできるだろう。
しかし、地頭が悪い私のような人間は何が間違っていたのか一発で分かることは少ない。分かったとしてもそれは分かった気になっているだけで実は勘違いも多い(笑)
予備校が出している解説なども実は勘違いの解説も多かったりする。
短答式試験の解答速報などでは初回の速報から解答が変わる事もままある。予備校によって違う解答があったりすることも多いことからもそれは伺える。

条文知識が問われているだけのように見えて実際は当てはめの問題が多く、そうなるとそこには条文規範という大前提があるわけだが、その条文規範というものを勉強するのが法律の勉強の第一歩だろう。
しかし、基本書の類を見ると、そういった条文規範は論点されていないところは通り一遍のおざなりの説明で終わっている場合が多く、論点などの解説に終始する場合が多い。
民法なら民法、刑法なら刑法の基本となる部分、土台となる部分がおざなりになっているのに論点ばかりは知っている。従って、論文はある程度書けている気がするが、短答式試験は苦手意識が強くなる。

司法試験は論理学の試験ではない

短答式試験で言えば、いかに肢の論理構造を解明してもそれだけで正解に導けるわけではない(旧司刑法、憲は除く)。
法的三段論法の大前提の部分が間違っていればいずれにしろ正解にたどり着けないからである。もっとも大前提が間違っていないとしても、小前提当てはめの段階で間違ってしまう可能性がある。
このとき、肢の論理構造などを分析する際に論理学は役立つ、
かもしれない。。。

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