民事訴訟法でいう原告適格と当事者適格

民訴の論文問題を解いていて、原告適格がないとか当事者適格があるとかないとか解説がある。
民訴でいう原告適格ってなんだ?とふと疑問に思う。この点基本書にもあまりのっていない。

民訴では誰でも原告になれる

民訴では訴えを提起する者は誰でも原告となり、~ 。判例民事訴訟入門P37

なるほど、原告適格と言う概念が民訴にはない、というか、原告適格と当事者適格がほぼ同義に扱われていると言う理解でよさそうだ。
行政事件訴訟法では条文に原告適格の要件があるため、に民訴にもそのようなものがある、当事者適格とは違うと思っていたが。
当事者適格のうち原告となる資格を原告適格、被告となる資格を被告適格、と呼ぶらしい。同P38

訴訟担当の当事者適格
法律の規定または授権により、権利義務関係の主体ではない第三者に当事者適格が認められ、その第三者が受けた判決の効力が当該権利義務の主体に対しても及ぶ場合115①2 同P39

当事者 判決の名宛人
当事者の確定 訴状に記載されたもの
当事者能力 当事者となれる一般的な資格 ※民法の権利能力に対応
当事者適格 誰が当事者として訴訟を追行し本案判決を得れば、当事者の為に有効かつ適切な紛争解決が可能になるか。※訴訟要件の一つ。訴えの利益は請求の面から設定された要件。当事者適格がなければ却下される。

給付の訴え 原告が誰と誰の間の給付請求権を主張しているかで当事者適格が決まる。原告の給付請求権がない場合は却下ではなく棄却となる。
ある意味、当事者適格を決めているのは原告と言える。

確認の訴え 確認の訴えの利益が原告、被告の紛争を確認判決によって解決することが有効かつ適切である場合に認められるから、その関係性がある原告、被告に当事者適格がある。
当該紛争が解決したと言えるためにはその原告、被告でいいのか、という観点なので訴えの利益に似ているかもしれない。

形成の訴え 通常は当事者となり得る者が法定されている。
これが原告適格の典型的イメージだった。

当事者適格がない、と言っているのは原告適格がない、と言うことに等しい(原告側の場合)。
しかし、当事者適格や原告適格を理解していないと試験問題として出されたときに知らず知らずのうちに混乱しているはずである。意識せずに混乱しているというところが実はミソである。
そして、こういう嫌らしい問題を出すのが司法試験である。例えば予備でこんな問題がある。

[第8問]当事者適格に関する次のアからオまでの各記述のうち,判例の趣旨に照らし正しいものを組み合わせたものは,後記1 から5 までのうちどれか。(25-32)ランク:B
ア.XのYに対する貸金返還請求訴訟において,Yに金員を貸与したのがXではなくZであることが明らかとなった場合には,Xの訴えは原告適格を欠くものとして却下される。
イ.XのYに対する貸金返還請求訴訟において,訴訟物とされている貸金債権をXが訴えの提起後にZに譲渡したことが明らかとなった場合には,Xの訴えが原告適格を欠くものとして却下されることはない。
ウ.XのYに対する筆界(境界)確定の訴えにおいて,Yが筆界に争いのある隣接土地の賃借人である場合には,Xの訴えが被告適格を欠くものとして却下されることはない。
エ.Xが,Zに対する売買代金債権を被保全債権として,ZのYに対する貸金債権を代位行使して,Yに対して提起した貸金返還請求訴訟において,XのZに対する売買代金債権が存在しないことが明らかとなった場合には,Xの訴えは原告適格を欠くものとして却下される。
オ.株主Xの提起した株式会社の役員の解任の訴えにおいて,当該会社と解任対象とされた役員の双方を被告とした場合には,役員に対する訴えは被告適格を欠くものとして却下紗れる。
1.ア ウ 2.ア エ 3.イ エ 4.イ オ 5.ウ オ

正答は3

請求に理由がないという事と当事者ではないという事

まず、問題文には当事者適格とあり、肢は原告適格、被告適格とある。
そもそも原告、被告適格と当事者適格が同じことだと理解していないと、当事者適格とは言っていないから×だっけ、いや、
あれ?と少なからず混乱するのが短答常連落ちである。
よくよく考えると、貸しているお金を返せといって訴える場合に、「既に弁済済み」の場合と「違う相手に貸していた場合」その内実はともに当該原告と当該被告には債権債務関係はない。このとき既に弁済済みなら請求棄却で問題ないが、違う相手に貸していた場合は当事者適格がないとして却下するのか?
これは結局同じ事を判断しているに過ぎない。だからこそ民事訴訟で特に給付の訴えにおいては誰でも原告になれる、などという表現がでてくるのである。

民事訴訟では誰でも原告になれるというミスリード

しかし、誰でも原告になれるのであれば債権者代位訴訟においても原告適格がなくて却下されることもないことになる。
従って、民事訴訟全般ではなく給付の訴えにおいては誰でも原告になれる、としたほうがよい。

https://www.yokohama-roadlaw.com/glossary/cat2/post_204.html
①給付の訴えについて
 自己の請求権を主張する者が原告適格者であり、その者から義務者と主張される者が被告適格者です。
②確認の訴えについて
 確認の訴えの場合に必要な訴えの利益(確認の利益)の概念のなかに、当事者適格が含まれています。したがって、確認の利益がある場合には、当事者適格も認められるのが通常です。
③形成の訴えについて
 形成の訴えの場合、法律上、当事者になることができる者が規定されています。つまり、法律上形成の訴えの当事者になり得ることが規定されている者に当事者適格が認められます。

つまり給付の訴えにおいては自己に請求権があるかないかを審議するものであり、その請求権がない場合にそれを原告適格がないと判断してしまうと全て訴え却下になってしまう。

訴えの利益と原告適格

また、当事者適格は広義の訴えの利益にあたり訴えの利益がなければ却下となる。訴えの利益とは、裁判制度を利用することが当事者間の紛争の解決にとって必要で適切といえること訴えの利益なので、先にみたように給付の訴えにおいては基本的には訴えの利益が問題になることはない。
この点確認の訴えの場合は確認の訴えの利益というものが吟味される。それがなければ訴えても意味がないためである。その意味では原告適格が訴えの利益と被っている、或いは含まれているというよりも確認の訴えの利益があるということが原告適格そのものと言えるだろう。

債権者代位訴訟の原告適格

肢エは債権者代位訴訟において、被保全債権が存在しない場合である。
この場合、なぜ当事者適格=原告適格がない、ことになるのか。
給付の訴えにおいては、当該給付請求権を原告が持っていなければ当事者適格がなく却下ではなく、当事者適格があり、請求に理由がないという意味での棄却であるから、給付請求する債権がなくても当事者適格はある←原告適格もある事が前提である。

債権者代位訴訟が給付の訴えか、という問題があるが、仮に債権者自身に引き渡せ、となれば給付の訴えと捉えていいと思う債権者にしろ債務者にしろ何らかの給付を請求する場合で考えると、被保全債権がない場合は当事者適格がなくて却下ではなく、棄却でよさそうである。
しかし、債権者代位訴訟における債権者(訴えを提起した者)は訴訟担当にあたる。
請求する債権は債権者の債権ではなく債務者の債権である。
従って通常の給付の訴えで原告が被告との間の給付請求権を主張しているのとはその構造が違い、債権者の当事者適格→原告適格を基礎づけているものは被保全債権の存在であるといえる。言わば訴えの利益がないとも言える。
従って、その被保全債権を債権者が有していないのならば棄却ではなく、原告適格がない(当然当事者適格もない)で却下となる。 多分。

当事者能力と当事者適格

また、この事から見えてくるのは当事者能力と当事者適格の構造である。債権者代位訴訟で被保全債権が存在していない場合であっても裁判所は「当事者能力がなくて却下」とは言っていない。権利能力なき社団に当事者適格があると認めた判例があるが、この場合も当事者能力があることが前提にある。
権利能力なき社団に原告適格を認めた最高裁判例
「これまで,権利能力なき社団は,原告適格が無く(裁判の当事者として訴訟を行えない),代表者個人が団体の委任を受けて原告になるというやり方が取られていました」
これまでも権利能力なき社団は「原告適格がない」のであって「当事者能力がない」とは考えられていないようです。
当事者能力とは民法の権利能力に該当すると一般的に言われています 当事者と当事者能力と権利能力
当事者能力は当事者となれる能力などとも言われるが、当事者とは一体なんなのか?ウィキペディアには「民事訴訟であれば、その名において訴え、または訴えられる」一般的な資格というがこのような表現は言葉を言い換えているだけであって何の説明にもならない。
要するに債権者代位訴訟で被保全債権がなく訴えを却下された債権者であっても当事者能力は持ち合わせているので別の訴訟でも必ず却下されるとは限らないわけである。
権利能力なき社団が仮に当事者能力がないのであるならば当然当事者適格もないことになるが、裁判所が以前からそう判断していなかったとするならばそもそも原告や被告になることができたわけであり、個々の事案によって当事者適格のあるなしを判断していただけのことになる。
いずれにしろ、権利能力なき社団も民訴29条により当事者能力が与えられているため民事訴訟の原告になったり、被告になったりできるため、民事訴訟では誰でも原告になれるというのはあながち間違ってはいないものの、その判断にはまず当事者能力の有無が必要であり(当事者能力が否定されることはほとんどないだろう)、次に当事者適格を判断する。
当事者能力が民法の権利能力に対応するものであるとすると、生きて生まれてきたらすべてのものに当事者となる能力があることになり、社会的実体のある法人や権利能力なき社団にもそれを付与するのが適当であろう。そういう意味では誰でも原告になれると言える。
誰でも原告になって訴訟が提起できるが、個々の事案によってはその原告適格が否定される場合がある。そういう意味では誰でも原告になれるわけではない。
個々の事案に限って原告というものを考えると、当事者能力が問題になることはまずなく、まず考慮されるのが当事者適格の有無になる。

胎児と当事者能力

胎児の当事者能力について
胎児には権利能力がないため民訴においても当事者になれないのが原則となるだろう。しかし、不法行為721 相続886① 遺贈965 については胎児にも権利能力が認められるのでこれらの訴訟の当事者となれる当事者能力がある。
胎児が自ら訴訟は提起できないため、胎児の法定代理人が訴訟を提起することになるだろう。しかし、出生していないためまだ法定代理人は存在しないので一体だれが訴訟提起するのか?誰でも訴訟提起できるわけではないだろう。そういう意味で胎児である間に行った和解契約を無効とした判例があるが、この事案は未認知であったという。この判例がリーディングケースのようになって胎児である間はあたかも訴訟提起できないなどの説に至ったと思われるが、実はそうではない。
判例の事案は胎児に当事者能力はある事が前提で、和解契約を結んだ当事者に言わば原告適格がないとしたものと言えよう。
判例は胎児一般に適用されるものではなく、出生後に法定代理人になるべき者であれば訴訟などを提起できると解することが妥当だと思われる。
そうでなければ民法がわざわざ胎児である間に権利能力があるとした意味がない。
胎児には一定の場合に当事者能力があるはずなのに、ある特定の判例の結論を肯定するために様々な理屈をつけて全否定するというのもおかしな話である。

短答過去問 当事者適格と債権者代位

当事者なりすまし問題

平成22年に同居している第三者が被告になりすました問題が出ている。H22 民事訴訟法 採点実感
被告の了解を得て、3回出廷し、その後はそれがバレて(笑)正式に弁護士を代理人にしたが、訴訟自体無効を主張。
これに対し原告代理人はなりすました輩の訴訟行為の効力は被告に及ぶと主張。

当事者の特定

まず、これは当事者適格の問題ではなく当事者の特定の問題である点が指摘されている。
この問題が少し手の込んでいる点は被告がなりすましを了解しているのであたかも任意代理人のような様相を呈しているので、任意的訴訟担当を持ち出すのも頷ける話である。

訴訟担当
訴訟担当は当事者として訴訟を追行するので、もしこれを持ち出すなら被告は起訴状に記載されているものではなく、なりすました人間にならなければならない。従ってこの部分で論理的整合性が保たれなければならない。

当事者は起訴状に記載された者

結論から言えば当事者は起訴状に記載されているものである。これは前述の如く当事者の確定の話である。
特定と確定は日本語が違うが、恐らく同じ意味と捉えていいと思われる。この点、法律用語は定義がきっちり決まっている場合もあれば曖昧な場合もある。また、場面によって同じ用語でも違う意味で使われたりしているので気を付けたい。

意思説、行動説、表示説とこれまた各説入り乱れており、当事者は起訴状に記載されている者とするのが表示説。

意思説 被告については原告の意思を標準とし、原告については裁判所の意思を標準とする。この時点で変な説であるのが分かる。仮に両方なりすましていたら結局裁判所が両方決めてしまうことになり、処分権主義どこいったとなる。

行動説 原告や被告のようにふるまった者、あるいは原告や裁判所が当事者として扱った者が当事者となる。これだと原告がなりすましていたらなりすました輩が被告も勝手に決めてしまうことになりそうだ。

表示説 訴状における当事者の記載を基準とする。この説もなりすました者が勝手に訴訟追行して判決を得る可能性がある。

いずれにせよ欠点だらけ(笑)結局消去法で表示説(と書くと試験委員から怒られる(笑))というか、客観的で分かりやすく、仮に成り済ました者が判決を得ても再審すればいいだけ。という現実そんなに甘くないのでは理論のようである。
このとき、なりすました者はあたかも無権代理と同視できるから、338①3を類推適用して再審を認める。
民事訴訟法概説P28
採点実感など読むとなんだか難しそうな話のようで、実はそうでもない(現場でやるのと家でコーヒー飲みながらやるのとは違うのだよ)。

※追記 20230812
当事者の特定を当事者適格から考えてみると、当事者適格を吟味する前に実は当事者の特定がある事が分かる。通常当事者の特定が問題になることはないためほとんど意識しないが、既に表示説をとっているのである。意思説をとっても行動説をとっても通常の場合は問題が表面化することはないので表示説をとっているとは言えないように思えるが、通常原告の意思とか裁判所の意思とかそういうものはまったく考えずに誰が誰を訴えるかが無意識的に決められていることから表示説になるはずである。
当事者の特定がどの説により決まるかが問題ではなく、当事者の特定をどのように決めるかという言わば民訴のルールをどうするかという話である。
ある訴訟で、誰が原告で誰が被告なのか?それをまず決めてから当事者適格がその者についてあるのかないのか吟味する。当該事案で当事者として妥当な者を逆算して当事者として特定するわけではない。そのようにしてもかまわないだろうが現在の民訴ではそのようにはなっていない。いや、と言うよりも誰が当事者として妥当な者かを判断する基準としての意思説や行動説であり、表示説なのだ。
しかし、表示説によれば仮に当該訴訟にまったく関係のない第三者が当事者として記載されていればその者が当事者となってしまい、その結果当事者適格なしとなる。

当事者の特定と当事者適格の理論的な違い

そうすると、表示説では誰が当事者として妥当かどうかは吟味されていないということになる。そして、意思説や行動説の考え方は当事者の特定の問題に当事者適格の判断基準まで含まれているように見える。あくまでこれは当事者の特定をどうするかという言わば民訴のルールなので理論的なことはさておきどうするか決めてしまえばいいだけと思われるが、当事者の特定と当事者の適格を明確に峻別して論文の問題としてだされるのであれば理論的な意味での峻別を受験者はできていなければいけないことになる。
当事者の特定をどうするかよりも当事者の特定とは一体何かという問題である。当事者適格とは何がどう違うのか?ということになり、結局それが分かれば自ずと当事者特定の判断基準もでてきそうである。

当事者適格の判断対象を特定するという意味での当事者の特定

当事者適格の一般的な定義を改めてみると、「 誰が当事者として訴訟を追行し本案判決を得れば、当事者の為に有効かつ適切な紛争解決が可能になるか 」である。
この定義と当事者の特定は明確に違うということになり、適切な紛争解決が可能かどうかは当事者適格の吟味の際で判断すべきことであって、当事者の特定の段階では吟味する必要がない。逆に言えば当事者を特定し、その者が当事者として訴訟を追行した場合に紛争解決につながるかどうかを当事者適格として判断するのでこの場合の当事者は誰でもよいことになる。その意味では民訴では誰でも原告となれるというのも一理ある。
とは言え、誰かを特定する必要がある。
この場合は当事者適格を判断する対象としての当事者ということになる。そして、そこに意思説などを基準として当事者を特定しようという話になってくるが、先述したように意思説、行動説では当事者適格の判断が多少なりとも入り込むことになり妥当ではないだろう。
その意味で訴状に記載された者を当事者として扱う表示説が妥当である。

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