論理的に考えるということを試験に活かす

因みに携帯電話やIHクッキングヒーターも、以前は「胎児に影響が出る可能性が否定できない」とか、「電磁波によって何十年後の脳への影響が不明」とか言ってた人たちいたなぁ。

何十年は経ってはないけど未だに黒電話使ってるんだろうか。

上記はひろゆき氏 ワクチン副反応発生率「宝くじ1000万円当たるぐらい…ほとんどの人は当たらないと」の記事に対する
「話が適当すぎる。副反応って何のことを言ってるのかはっきりさせて話してほしい。メディアが情報をかき回してる。
私、医療従事者なので早めに接種したし、周りもかなり接種済みですが、
倦怠感、37.5℃程度の熱発を副反応というなら半数の人は反応でてます。」
というコメントに対する返信です。
趣旨としては、副反応が怖いという事に対しての批判という感じでしょうか。

確かに、昔、電磁波の影響が人体にあるとかないとか言われていましたが、最近はほぼ聞かれませんね。
つまり、この返信コメントの趣旨は、
「昔電磁波の影響があると言っていた→現在影響なし=ワクチンの副反応の影響→将来も出ないんじゃね」と言っていいと思います。
このように言い切ってしまうと、明らかにおかしいな、と思うのが普通の感覚ではないでしょうか。多分このような事を返信すると、「そんなことは言っていない、文章をよく読め」と言われるでしょうが(笑)

この返信コメントは要するに、大した根拠もなく不安を煽るようなことを言っているケースとして過去の事例をあげてマウントをとりたい、或いはディスりたいと言い換えていいかもしれません。
書かれている事自体は間違っていないので一見するとなるほどなと思わせますが、よくよく吟味すると違ってきます。

そもそもワクチンと電磁波だとまったく別の話で同列には論じられません。電磁波の人体への影響が仮になかったらワクチンも重篤な副反応が出ない、とはならないのはすぐに分かります。
もし、本当に電磁波の人体への影響がないことを(まだ分かりませんが(笑))理由としてワクチンも大丈夫だと思っていたとしたらそれそれでかなり問題があります。

この返信コメントは帰納的推論かと思いましたが、どうやらそうではないようです。
返信コメントの主張は次のように変換できます。

根拠がよく分からない噂→嘘 この主張を裏付けるものとして電磁波の事例があげられていると言っていいでしょう。
他にも同様の事例があるとして、それら事例から根拠がよく分からない噂は嘘だという原理原則を導き出したとすると帰納的推論と言っていいでしょう。

そうすると、いずれにしても根拠がよく分からないからすべて嘘とは言いきれないのでやはりこの主張100%妥当だとは言えない。勿論完全に誤りかと言うとそうでもない。

論理的にものを考えるということは、単に筋道が通っていればいいというだけではなく、結論としてどうなんだという事まで含めて考えなければいけない。
そうでなければ、それこそまだ未確定なことがあったり、歩いは自分の経験だけで判断したことを一般化してしまうという、噂程度の事を信用してしまうことと同じ過ちを犯してしまう危険性がある。

さて、このブログは予備試験、特に短答式対策のためのものであり、ましてや論理学の研究者になるためのものでもない。
予備試験の勉強、そして短答式試験対策として論理的な思考を活用するためのものなので、その点に限ってまとめておこう。

令和3年予備試験短答式憲法第12問

丁度いい問題がありました。

〔第12問〕(配点:2)
憲法第89条後段の「公の支配」の意義に関し,「国又は地方公共団体が,法令等により一定の
監督をしていることで足りる」とする見解があるが,次のアからウまでの各記述について,かかる
見解の根拠となる記述には○を,根拠とはならない記述には×を付した場合の組合せを,後記1か
ら8までの中から選びなさい。(解答欄は,[No.24])
ア.「公の支配」を厳格に捉え過ぎると,公的援助の対象となっている私的な団体等の自主性を
過度に損なうことになり,望ましくない。
イ.憲法第89条後段の趣旨は,財政民主主義の見地から,慈善,教育,博愛の事業に対する公
金の支出が公の財産の濫費,濫用にならないように,国や地方公共団体が監督することにある。
ウ.憲法第89条後段が,慈善,教育,博愛を特に掲げ,それを同条前段の宗教団体に対する公
金支出等の禁止と一体のものとして定めていることを重視すべきである。
1.ア○ イ○ ウ○ 2.ア○ イ○ ウ× 3.ア○ イ× ウ○
4.ア○ イ× ウ× 5.ア× イ○ ウ○ 6.ア× イ○ ウ×
7.ア× イ× ウ○ 8.ア× イ× ウ×

この問題に注目したのはまず、予備校の解答速報での回答と法務省の解答が違っていたということと、私自身の解答は法務省の解答と同じだったものの、
再度解いてみたところ、予備校解答と同じ間違いを犯したという点です。
問われている知識そのものはそれほど難しくもなく、細かくもないと思われますが、なぜこのように結果に差異が生まれてしまうのか。
短答式の論理問題(多分この問題自体は知識問題に分類されるでしょうが)のある意味典型的な例としてあげていい問題ではないでしょうか。

問題となるのはアの肢です。
ア.「公の支配」を厳格に捉え過ぎると,公的援助の対象となっている私的な団体等の自主性を過度に損なうことになり,望ましくない。
これを本試験では〇とし、改めて解いたときは×としたわけです。もはや知識とかの問題ではなくなっています。
予備校の解答速報ではこの肢は×とされていたので結果的に速報ではこの問題は落としたわけですが、法務省の回答では正解となりました。
何が言いたいかと言うと、予備校でさえ判断に誤ってしまうようなある意味絶妙な問題だったと言えるでしょう。

憲法89条は受験生にわざわざ説明するのは釈迦に説法ですが、簡単に振り返ると

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

公の支配に属していないような団体などに公金を支出してはならないというものですが、問題文にあるように公の支配の意義に争いのあるところです。
まず、注意が必要なのは肢にもあるような公の支配の意義というのを文字通り、言わば字面だけで理解すると判断に間違いが生じやすい点です。
厳格な説、という日本語からは厳しいという意味が連想され、公の支配を厳格にすると読むと公の支配を厳しくする→公の支配をしにくくするような方向と解する事も可能になってしまい、すると援助を受ける側としては逆に自主性が増します。

しかし、この場合で言う厳格説は例えば通常の支配が5の要件で済むのを10に増やすこと、つまり公の支配を強くする場合と言えます。従って援助される側の自主性は少なくなる方向に傾くことになります。

言葉の意味定義づけを試験で応用が効くように正確に理解する

このように司法試験の問題は知識を前提とした論理的な問題が出される傾向にあります。知識だけでは間違う場合が多々あるのが厄介なわけです。
命題論理ではなく、述語論理に近いと言っていいでしょう。言葉の意味を知っておかなければならない、しかもそれは当然司法試験の勉強でいうところの言葉の意味なわけです。そして、受験生は当然それを死に物狂いで勉強します。
しかし、知識だけをいくら積み上げても確実性、安定性は得られない。
逆に言えば一度コツを掴んでしまえばある程度コンスタントに得点を得ることができる。これは本試験合格後何年も経っている現役の弁護士が短答問題を解くとあっさり8割前後をとってしまうことからもうかがい知れます。

また、この問題は単に肢の正誤を問うものではなく、前提文があります。
「国又は地方公共団体が,法令等により一定の監督をしていることで足りる」とする見解の根拠となり得るか
と、なっているのでさらに混乱しそうです。
一定の監督でいいという説の根拠になっているか?という観点から肢のアをみると、肢のアは厳格にすると自主性を過度に損なうから望ましくないと批判し、自主性を広げる方向の主張であることが分かり、やはり〇ということになります。

学説の枝葉末節に勉強時間を割かない

ウ.憲法第89条後段が,慈善,教育,博愛を特に掲げ,それを同条前段の宗教団体に対する公金支出等の禁止と一体のものとして定めていることを重視すべきである。
肢のウも短答式憲法にありがちである。
89条後段と前段が一体として定められていると公の支配が「一定の監督をしていれば足る」という説の根拠となり得るか?という、門外漢がきくと意味不明な問題となる(笑)
ここで、知識に頼ろうとするとドツボにハマりやすい。そもそも各説をある程度理解していたとしても学者ならいざ知らず、細かいところまで知っているわけはないし知る必要すらない。
司法試験委員会も当然細かい知識を試しているのではない事は明白。
仮に一定の監督で足るという説の論拠として「前段と後段が一体として定められている」というものがあるとしたら勿論この肢は〇ということになるが、そこまで深く知っておく必要があるのか?ある意味コスパの問題である。
勿論、試験に出た今となっては(昔も出ているかもしれない)きちんと記憶しなければならないが、仮に知らないとしても正答を導かなければならない。
そこで、前段と後段が一体として定められている→一定の監督で足る、と結論付けられるのか?と考えると必ずしもそうは言えないんじゃないかとなる。
いずれにしろ自分は知らない問題ならこのようにして解いていく他なく、どっちにしろ確率50%で少なくともこのような解き方であれば多少は確率は上がるだろう。
一番よくないのはこのような学説問題の枝葉末節に拘り過ぎて時間を浪費してしまうことである。
知っておかなければならない細かい事項と知っていても大勢に影響ない事項があり、このような学説の枝葉末節部分はぶっちゃけどうでもいいような話である。
また、捨て問にするのも勿体ない。なぜなら文章だけ読んでも解けるような肢も多い。
ここで、注意が必要なのは前期肢のアのような問題である。特定の用語が出ている場合それが日常用語と違っていないかはちゃんと確認する必要がある。
でなければ論理的に判断できても間違う可能性があるからである。

正解 〇〇×

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